あちこち走り回って忙しい一日でした。
そんな中、妹の用事もあって車内で話していた時のこと、
小学生時代における夏休みの思い出が挙がりました。
妹は夏休み中の(教師が指導する)プールが嫌いだったらしく、
日曜日のみ開放されている、保護者同伴のプールほどには気軽になれず、
その時間帯に食べていた当時の昼食を思い出すのだとか。
そしてスーパーで同じ食べ物を見ると「あの頃」が思い返され、
なんとも云えない気持ちになると語っていました。
一方で私は小学4年生まで泳ぐことが出来ず、
低学年用の浅いプールから高学年用の25メートルに変わった時、
はじめて両肩にまで迫る水位に軽く絶望し、ひたすら恐怖を味わっています。
そんな私を見かねてか、母が毎週のプール開放日に付き合い、
母からの応援があったせいなのか、何度目かで泳げるようになり、
その後は泳ぐのが楽しくて水泳部に入ったほどです。
"泳げない母に応援され、泳げるようになる長男"という、
どうしてそれで泳げたのか笑ってしまう思い出ですが、
泳げない小学生時代を4年間も味わったことで、少し分かったことがあります。
(1) 信頼がおける人物が近くに居る(その人が泳げなくても可)
(2) 「危なくなったら助けてもらえる」という安心感がある
(3) その安心によって水に対する過度な警戒が解ける
この条件が揃うと「きちんとした深呼吸」が出来るように思います。
水を恐れている内は、水に入る前から呼吸が足りていません。
恐怖で呼吸が浅くなり、すぐに「次の呼吸」が始まってしまいます。
「水が呼吸を妨げる」と知っているので、なおさら水に向き合えない。
いざ泳ごうとしても、肺の空気が少ないため浮くことも出来ません。
小さな肺は小さな浮き袋───それすら恐怖で萎んでしまう。
強烈な生存本能で必死に選び取るのがカナヅチとしての自分。
酸素の量も足りていないので、少々のバタ足だけで疲れて顎が上がる。
間もなく足を着いてしまい「もがいては立つ」の繰り返しになります。
肺の隅々にまで酸素が行き渡るような、十分な深呼吸。
それを落ち着いて実行できる頃、私の悩みが解決されたような気がする。
……なんて、もっともらしいことを書きましたが、
泳げない者にとって「浮く」という理屈は非常に不可解で、
難しくさせているのは警戒心と準備不足、そして知識不足なのでは。
私の場合、実は(2)の保証がなかったわけですが……本当に笑い話です。
- 2021/08/10(火) 21:10:00|
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