お昼過ぎ、同級生のお母さんに会いました。
近所に住んでいたのは昔の話ですが、お顔を憶えています。
実家周辺は少年時代の名残が殆どなくなって、数えるほどもない程度です。
そこに昔から住んでいる人となると更に少なく、共通の話題も限られる。
なればこそ安心して昔話にも花が咲くというものです。
私は20年くらい前に祖父、10年くらい前に実父を亡くしましたが、
この歳になると血縁に関係なく「誰それが亡くなった」という話を聞きます。
つい先日にも、お世話になった小母さんが亡くなってお通夜に出ました。
自分を取り巻く"小さな時代の後半"に、いつの間にか入っていたという感覚。
両親や周囲の大人というものを、漠然と「そういう時代の人」と捉えていた少年期から、
今度は自分が「そういう時代の人」と認識される、鮮明な境界線のこちら側に来た感じ。
こういう感覚は、そのまま自分の生活に反映されると思います。
外出の目的地が変わり、手近な環境を回転させるだけで事足りるようになる。
何か面白いものを探して歩くのではなく、関心がないと思っていたものに興味が行く。
今の自分は、どういう風に見られているのでしょう。
子供だった自分が見ていた"大人"というものに近づいているのか、
あるいは「何だか分からない人」みたいに思われているのか。
強烈に感じるのは、昔より今が面白く、かつ清濁で騒がしいということです。
- 2021/03/15(月) 23:59:00|
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