キッチンの上部収納を空にして、中の食器やらを洗ってまとめました。
残すは下部収納で、こちらは食器より面倒なものが収まっています。
これを片付けてしまえば大抵の作業は先が見えている。
たびたび引越す人も居ることでしょうが、一つの住居に四半世紀ほど過ごすと、
そこはもう体の一部みたいに「取り替えが利かない」とすら思い始め、
その先を考えることすら頭から抜け落ちます。
人間は、色々な服を着たり髪形を変えたり、化粧をしたり背を高く見せたりと、
自身を下地にして色々と演出しますが、体そのものの形を変えることは稀です。
長く過ごした住まいとは、少なからず体に染み込む性質でもあるのか。
物が減って声が響くようになり、家具も気温を維持していたと分かります。
獣毛を刈り取られた羊が洞窟に居るような、場違いな疎外感。
引越しを実行に移してから、ずっと続いている感覚です。
新しく何かを始めたり、その先にある小さな未来を描いたり、
そうしたことに気持ちを向けさせるには、24年間は長すぎたのでしょうか。
あるいは、そんな気持ちは独り暮らしを始めた時に消化されたのか。
独り暮らしは、自分を知るには良い手段です。
自分が計画的な人間なのか自堕落な人間なのか、
何を面倒と感じるか、何であれば苦にせず実践するのか。
してみると、この部屋が自分自身であるとすれば、
やはり奇妙な感覚は部屋から家具が減っていく過程に正体がある。
この部屋は私自身で、性格があり、何が愉快で不快かを知っているのです。
もうすぐ素っ裸にされる部屋。
そうと分かっていて、彼が不安にならないはずもない。
出来るだけ身なりは整えてやりたけど、リフォームで別人にされるかも。
- 2019/12/16(月) 23:59:00|
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