昨日は、白菜、大根、芽キャベツ、ビーツ、玉ねぎの種を買いました。
蒔くために畑へ向かいたいところですが、今は仕事が忙しい。
そんな昨日、実家のテレビで農作業の様子を観ました。
連続ドラマでしたが、話の内容が頭に入って来ないくらいには───
「(あぁ、畑に行きたい)」
───という気持ちしか起こらない。
耕運機を調整したい、管理機を復活させたい、耕作したい、種を蒔きたい。
失敗してしまった堆肥作りに再挑戦したい、今回は玉ねぎの発芽率を上げたい。
なぜ、私の「畑に対する意欲」は30代の後半になって湧いたのか。
これが20代であったなら、少なくとも10年は長く楽しめたのに。
20代も僅かながら手伝っていたのなら、そこでも目覚めようものです。
考えてみると、符合するのは本業でした。
この仕事は三十路に立ったばかりで始めています。
会社勤めから自営業に転換したことで時間の融通が利き、
このあたりから私が母の作業を一部完全に担当しています。
シャベルで用地に穴を堀り、残渣を埋めた上で畝を立てる作業です。
これは特に消耗するので「母には辛かろう」と思ったのが理由でしたが、
畑が面白くなってきたのも同時期で、ここから一気に傾倒して行きます。
思えば、本業を始めてから(その当時は)原因不明の吐き気に苛まれ、
それが血圧の上昇によるものと分かって以来、運動不足が課題でした。
椅子に座ってディスプレイを見つめ、ろくに動かない十数時間。
してみると、いよいよ血圧を無視できない年齢と生活習慣が"意欲"の根源か。
インドアな趣味が仕事に変わり、仕事ゆえに義務と責任がある中で、
なおさら文鎮のように動かないのでは体力も低下する一方。
管理機の修理や種蒔きといった作業欲求は副次的なものであるとして、
根本的な理由は、体が発する「運動して血圧を制御せよ」との警告なのか。
だとしたら逆らえないのは当然かも知れません。