よく考えたら平成最後の夜です。
昭和が終わり、元年になった時の自分は中学生ということになりますが、
小学校の図書館にいる状況が思い浮かび、これがなぜなのか分かりません。
小学校の図書館は最上階、中学校の図書館は2階。
見えている景色も違うので、何らかの記憶と混同されたのでしょうが……。
一方、元号(げんごう)という響きの"重量感"みたいなものを感じていたのか、
最初に平成と聞いた時は、なんだか軽い感じがしたように記憶しています。
あれから30年が経ったわけですが───
「生きている内に元号が2回も変わる」
───というのが正直な感想です。
昭和生まれの端くれという感覚が強いのでしょうか。
なんとなく子供心に「ずっと昭和が続く」と思っていたらしく、
「昭和が過去のものになった」と知ってショックだったようです。
それが2回目となる明日、私は何を感じるのだろうか。
私にとって、昭和は何も考えず子供でいられた時期であり、
平成は大人を意識する年齢から社会人というスパンでした。
2つの元号が、自分の過去を個々に捉えやすくする一つの基準です。
「(昭和)50年生まれか! 若いなぁ!」
そう云われたのは、私が20歳の時。
あれから20年が経ち、すっかり私も中年。
親族の中で平成生まれは母方の従弟に一人だけ。
私は人間を"世代"で一括りにして考えることは嫌いですが、
自分の生まれた元号が2つ前のものになる事実に当惑しているのでしょう。
一歩退いて昭和を遠くに眺め始めた平成になって以来、
しばしば引き合いに出される昭和の物騒な事例を箇条書きで見るにつけ、
いつか「大抵は昭和が悪い」と云われる日が来るのかな、と寂しく思いました。
それも平成が30年以上となり、明日をもって新元号となることで、
平成も同じように「云われる日」が来るのかも知れないと思うと、
とっくに自分が「分厚い本の真ん中あたりに挟まれている」と知ります。
30年もあったんだんな、平成。
軽くなんてない。
- 2019/03/31(日) 23:59:00|
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