しばらく振りに母が散歩の重要性を再認識してくれたので、
30分と決めて付き合ったところ、知り合いに会いました。
母と仲良くしてくれる老夫婦です。
このお二人は日常的に散歩をしており、奥さんのほうが年上。
ご主人は長身で、しかもスタスタ歩くので追いかけるのが大変だとか。
ただし、これは半ば奥さんが自身に強いていることらしいのです。
と云うのは、奥さんは持病で行動範囲が狭まりがちなため、
あえて負担となるよう仕向けることで健康体を保っているのだとか。
私も歩くのは早いほうで、母に合わせていたのですが───
「Kさん、歩くの早いわぁ」
「うちは護送船団方式」
───多少は認識を改めたようです。
母が昼間に散歩した際の効果は顕著に現れます。
夜に電話を掛けてみて、声に張りがある時は散歩をした日。
たったこれだけで判断できるほど違いがあるわけですね。
よく「仕事でそれなりに動いているから」という人も居ますが、
私が肉体労働をしていた頃でさえ、きちんと歩くことの意味がありました。
仕事で要領が良くなればなるほど、無駄な動きがなくなって運動が不足し、
さらに多忙や加齢で「まともな運動」が億劫になってしまいがちです。
そこを、あえて時間を割く意味がある程度には効果が大きい。
年齢が半世紀に達するのも、そう遠くない話になって来ました。
自分の感覚や自信というものが次第に疑わしくなるのでしょう。
私は独身だから、まだマシなんだろうなぁ。
- 2019/03/16(土) 23:59:00|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0