妹の誕生日に何か買いに……行っても品選びに苦慮するので、
いっそ本人に好きなものを選ばせようと車を出すことになりました。
しかし、いざ「何か欲しいものを」と云われても出て来ないものです。
結局、この日は一つが限界だったので後日ということになり、
母も含めた三人で外食をしてから帰りました。
帰りしなの車内で妹が子供時代の思い出を話した時、
昔の実家で近所にあったスーパーが挙がりました。
現在その敷地はワークマンになっています。
物心ついてから、スーパーと云えば……という存在でしたが、
お店としては小さく子供の感覚が大きく見せていたのでしょう。
この「子供の感覚」が大きく認識していたものを小さく感じるのは、
理由はともかくとして、どこで線引きが成されるのでしょうか。
その対象を意識しない期間があって、いつの間にかそうなるのか。
してみると、意識しない期間の頭脳はサナギの中身みたいにドロドロで、
やがて形をとる(大人用の頭脳になる)時の整合にズレが生じ、
それが───
「(こんなに小さかったっけ?)」
───という認識の差になるのかな?
部屋から全ての家具を出してしまうと、妙に狭く感じる時に似ています。
昔の風景って、あっと云う間に変わってしまいます。
とくに意識しない当たり前の風景こそ、思い出と懐かしさが欲しい。
あぁ、歳をとってるな、確実に。
- 2019/02/26(火) 23:59:00|
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