ところで昨日の交番で見た古い地図について理由を考えてみましたが、
すっかり忘れていたのが、その場に居た私と警官"以外"のことでした。
恐らく20代後半の警官と、40代の私よりも上の世代。
つまり高齢者層の知識や記憶における古い市井の地理です。
新しい地図とは違い、大きくて見やすいのも頷ける。
いずれ私の知識にある地理情報も通用しなくなるわけですが、
それより更に古いとなると、記憶でなく記録に頼ることとなります。
一つの交番に新旧の地図を貼り出す必要があるなら、これかもしれない。
よほど外歩きが多い人間でもない限り、生活圏は広いようで狭い。
ちょっと一本ばかり道を外れると様子が変わっていることも多く、
空き地に新たな家が建ち、とうとう廃業する個人商店や営業所に───
「(そうだっけ?)」
───と、しばしば自分の記憶を疑うこともあります。
くまなく近所の変化を窺いはしないし、それ自体が安心の姿。
その中にあって、忘れた情報を補填するのは外部化された記憶です。
すなわち文書をはじめとした記録媒体の「そうだった」という裏打ちが、
あの交番においては高齢者への配慮としているのでは。
……というのも私の憶測ですが、
私のように建物や景色で地理を憶える人間は居るでしょうし、
してみると既に存在しない建物の情報も少しは役に立つことでしょう。
40年も地元に住んでいるけど、知らないことばかりだなぁ。
- 2019/01/13(日) 23:59:00|
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