副業の仕事始めです。
繁忙期は大晦日で去ったと云えるのか、非常にのんびりしておりました。
激務に浸かりすぎると、それが当たり前になってしまうのだから恐ろしい。
夜明け前から「本年も宜しくお願いします」を顔に張り付くくらい繰り返し、
初対面が相手でも滞りなく挨拶ができる程度には、私も大人になりました。
何か縁遠い世界を見ているようでいた親世代の交流が、少しは身に付いたのか。
そんな夕方、自宅の前で中学生が騒いで眠れずにおりました。
私は15時~16時くらいには眠らねばならないのに、もう18時に迫る。
窓を開けると、離れたところで騒いでいるらしく注意も出来ない。
私が中学生だった頃、なんとなく社会は「怖いもの」でした。
出来の悪さを自認する者にとって、埒外は憧れか恐怖のどちらかであり、
隅っこに隠れることを選んだ私には、往来で騒ぐという感覚は理解できません。
まして暗くなってからは周囲に怒鳴られる可能性も高かったので、
ほんの四半世紀で社会が大きく変わっているのかもしれません。
顔に張り付く言葉。
心に張り付く倫理。
変わったのは私も同じことか?
外で騒いでいる中学生も、数年するとキッチリ社会人をやっていたりします。
彼らには"誤る権利"があり、それを修正され受け入れる権利もある。
彼らが踏み越えるべき失敗は、ちょっと私を睡眠不足にさせます。
「うるせえ」って云うのも権利だけれど、まだ少しお屠蘇気分だから我慢。
- 2019/01/04(金) 23:59:00|
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