私の小学生の頃から営業している文房具店が、年末で店じまいとなります。
子供時代には実家から1km圏内に4つの文房具店があり、
これで最後の1軒が役目を終えることとなりました。
母が仕事場の住所印を作ることになっていたため手続きに向かうと、
「役立ててくれれば」と、母の仕事で使えるものを幾つもいただきました。
「『自分が生きてる間には絶対に無くならないお店』みたいに思ってた」
「そんなこと云わないでよ、私ももう歳よぉ」
私が告げた言葉に、少し寂しさがある感じもしました。
一つの職業を続けるということ、それを終えてしまうということ。
その刻印みたいなものが、店内で商品として売れずに残っています。
それも投売りで処分するか誰かに引き取らせるかしなければ、
何か後ろめたいものとして、時に費用を負担してまで捨てねばならない。
母から聞いた話では、色々と大変だったらしいとのこと。
客商売の上では当然のように不当な嫌がらせも起きたそうです。
人間が(あえて云うなら国民が)お金を得て税金を払い、
一人の人間として問題なく「生きても良い」とされる体裁の中では、
別に自営業を選ぶ必要はないし、まして客商売を選ぶ必要すらありません。
そこらの会社に勤めれば良し。
職務を楽しいと思えるかどうかも関係ない。
義務さえ果たせば、よくある手段で差し支えないという意味で自由です。
そうした中で個人商店が姿を消す昨今、私が思ってしまうことは、
今の本業を続けていく選択が「どういうこと」なのかということ。
……どうもこうもない、手段の一つか。
- 2018/12/15(土) 23:59:00|
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