母と妹の三人で、うどんを食べに行った時のこと、
昔の近所にあったスーパーの話になり、私は敷地を実際の3倍くらいに認識し、
それが未だに尾を引いており、いつまでも修正できずにいると話しました。
「そうねぇ、あれで日々の食材が全て間に合ってたのよね」
「店先にゲームとかプリクラとか有った!」
「あったなぁ」
人間の感覚は自身を最小単位とするのか、幼児期は物事が拡大認識されます。
それが情報として成長後にも残り、しばしば認識の食い違いが生じ、
数km先の建物を市外か県外にあるものと思ったりするのでしょう。
そのスーパーは私の弟妹が義務教育を終えるまで営業していました。
現在は残っていませんが、私たちの"スーパー"の基準は「それ」なのです。
これって、ずっと変わらないのでしょうか。
おぼろげに記憶している、あの店内の配置と商品の彩り。
二度と再現されることのない色彩は、ひたすら脳の裏側をくすぐります。
思い出して話題に出す行為は、堪えきれずに脳が笑っているのでしょうか。
- 2016/12/13(火) 23:10:58|
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