第27緑化地区

フリーイラストレーター七片藍のブログ/第27緑化地区

あの子

調べものをしている最中、小学校の思い出について触れている記事を見ました。

その記事の内容そのものは別として、私の地元は子供時代とは様子が変わり、
あったはずの建物がなくなり、なかったはずの建物が増え、近所の顔ぶれも然り。
そして「名前は知らないけど一緒に遊んだことがある子」も見かけません。

ふと、この「一緒に遊んだことがある子」について考えました。
その日だけ一緒に遊び、翌日からは会うこともなかった子です。
それは大体が同級生か下級生だったように思います。

私は何年かに一度、本棚の資料を引き出す時に卒業アルバムも見返しますが、
その中の顔ぶれには下級生が含まれないため、もう本当に誰だか分かりません。

こういう場合、当時に改めて「あれは誰だったのか」と疑問に思わなかったり、
あるいは次の日になって他の子と遊んでいるのを見たので誘わなかったりと、
何らかの理由で離れたことが原因になっているのではと考えます。

それは小学校の時分だけかと思えば、私の場合は中学生時代にもあって、
たまに目が合ったりすると「よう」と挨拶を交わして話す同級生が居ました。
かなり長いこと互いの名前を知らず、改まって自己紹介を交わしてすらいます。

彼と卒業後に出会うことがあるかと思えば、そんなことは全くなし。
奇妙な出会いだった割には、何のきっかけにもなっていません。
こういう、一時的に引き合う磁力のようなものは何なのか。

子供の受容欲求には特殊な親和性みたいなものがあって、
それは成長に伴って線引きや住み分けが確立されるのでしょうか。
その親和性が消えるから確立されるのか、他の何かが入るからなのか。

人によっては小学生時代からの長い付き合いであったりしますし、
かたや高校時代や入社後に出会って、数十年来の親友になったりと色々です。
してみると、歳の近い者が集まる学校や会社という環境がそうさせるのか。

時々、もし自分への"影響"を細大もらさず記した「神様の手帳」があったとして、
あの頃に一度だけ遊んだ子供が、今の私に何を与えたのか知りたくなります。

一度だけ広場で野球をした子。
一度だけ暗くなるまで鬼ごっこをした子。
一度だけ公園の近くで拾った玩具を取り合った子。

彼らの顔が思い出せません。
ややもすれば「本当に存在したろうか」と、子供の姿をした幻にも思えるのでした。
  1. 2015/01/12(月) 23:59:59|
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