年が明けて早くも一ヶ月が過ぎたなんて……。
今日は、昨日の記事で書いた同窓会の案内状を届けに行きました。
渡すのは案内状(A4の手紙)と返信用ハガキ(50枚くらい)の2組。
案内状には、挨拶、日時、場所、連絡先などを内容とし、
参加を知らせる返信用ハガキには、宛名書きと案内文を印刷しています。
既に書いたとおり、私のプリンターはインクの残量検知が機能せず、
渡されたハガキに限りがあることから失敗するわけに行かず、
5枚ごとに印刷状態を確認しながら仕上げました。
もともと母からの頼まれごとだったので、二人で届けに行っています。
「本当にありがとうございます、ちゃんと費用は請求してくださいね」
「あー……えーと……」
そう仰られても私はプロ(業者)ではありません。
安価なインクを使用しているため、直射日光(紫外線)に長く晒されると、
黒インクであってもレンガ色に退色するという欠点があります。
これについては説明済みですが、業者に頼むことも検討していたようで、
完全品質を担保できていない以上「まともな価格」を設定しづらい。
まして知り合いとなれば───
「母さんを見ないでよ、あんたの仕事よ?」
───余計に請求もしづらいんだってば。
とりあえずネットで相場を調べて、そこから3割くらい減らそう。
印刷データは保存してあるし、修正には随時対応としておきました。
ひとまず完了です。
- 2019/01/31(木) 23:59:00|
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月曜日の記事に書いた同窓会の案内状を仕上げたので、
出来上がりの見本を持って依頼者のところへ行きました。
とても品の良い70代のお婆さんです。
今回、案内状のほかに返信用ハガキの作成も頼まれていました。
往復ハガキを使い、案内書と返信手段を同時に送ることも出来ますが、
通常のハガキが大量に余っていたので、封書で送ることにしたのだとか。
ただし、案内状は「原本を作成してコピー」が出来るものの、
返信ハガキは一枚ずつハガキに印刷しますから、やり直しが利きません。
表書きの郵便番号の記入欄も、位置がずれてしまうとハガキが無駄になる。
おまけに私のプリンターは安価な社外製インクを使っており、
インクの残量検知が機能せず、空っぽでも印刷しようとします。
よって途中で印刷状態が悪化しても延々とハガキを吐き出しかねず、
そうなると中途半端な印字でハガキだけが無駄づかいされるわけです。
そのため、フルカラー印刷では明らかな発色異常でも印刷され続けます。
幸い今回はモノクロ印刷で、印字が薄くなる程度の問題ではありますが、
用意されていた郵便局のハガキを使用するため、これでも失敗できない。
印字テストや調整は無地ハガキを使うことになります。
案内状を読むのは高齢者なので、見やすく読みやすいフォントを選び───
「あぁ、いいわね」
「内容に欠けている部分がないか確認してください」
───結果、なんとか問題のない出来上がりとなりました。
表書きの印刷は済んだので、あとは裏面の印刷だけです。
明日の11時までに仕上げなくては。
- 2019/01/30(水) 23:59:00|
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妹がレッグウォーマーをくれました。
これは温かい……けど、これが当たり前になると忘れた時が怖い。
夜明けの副業に防寒対策が充実して行く反面、これでいいのだろうか。
時々、生き物としての機能について考えます。
寒さに対するものとして───
・厚着する
・気温を上げる(エアコン等)
・体を温める飲み物や食べ物を摂る
───思いつくのはこれくらい。
人間には毛皮がなく体ひとつでは限界があります。
健全な抵抗力を維持する上で、どのような防寒が最適なのか。
己の体温を維持する目的で厚着することまでは許容範囲?
「冬に寒さを感じる」のは当たり前のことではありますが、
それを完全に奪った環境では、体が弱くなるのではあるまいか。
熱を作り出す機能が低下するとか、皮膚が寒さを遮断できないとか。
人間は自身に出来ないことを道具に代行させています。
すなわち厚着をして、温かい部屋で、温かい食べ物を口にする。
ずっとそうして来たのだから、これが最適なのでしょうが……。
あぁ、レッグウォーマーが温かい。
こうしてまた一つ手放せない防寒具が増える。
- 2019/01/29(火) 23:59:00|
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小雨に雪が混じっていたものの少し降っただけで終了。
仕事の一つも区切りがつき、今ようやく年を越せた気分です(遅い)。
それとは別に母から頼まれものがあります。
知り合いが同窓会を開くそうで、案内状の清書を作って欲しいとか。
親の世代ですから、これで何回目かの同窓会なのでしょう。
散り散りになった同級生の中には「遠くて参加できない」という人も多く、
そうした声に応え、隣接地域に住まう方を対象に送付するようです。
して、なぜ私に清書を頼んだかと云うと───
・自治会の会計文書を作った事務系ソフトが使えそう
・仕事で事務的な文章の扱いに慣れている
・母は文章を考えるのが苦手だから
───と、いうことらしいです。
そんなわけで下書きも受け取り文章を推敲しつつ進めておりますが、
手書きを清書するにあたり、小さな問題となるのは文字数です。
整然と並べた活字は、文字の大きさが自由に設定可能ですし、
読点の省略や、漢字/平仮名の併用を工夫すれば融通が利きます。
これに対し手書きは感覚で文字を並べるため、機械的な計算が少なく、
活字で並べた時よりも尺が長くなったり、改行が増えたりします。
問題になるのは、清書することで"尺が短くなり、改行が減る"こと。
つまり下書きの状態よりも「すっきりし過ぎてしまう」のです。
旧交を温めることが目的の同窓会であるにも拘らず、
あまりに味気なく冷たい文書になってしまいます。
すると清書に当たっては下書きにない文章を考える必要があり、
これが私の(頼りない)頭脳をコテンパンにしてくれるわけで……。
もうすぐ日記も20年になるけど、まだまだ努力が足りませんね。
- 2019/01/28(月) 23:59:00|
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ほぼ仕事だけで過ごしたので特記なし。
昨日から風が強く、今夜は月がぼんやりとしか見えないので、
寒さもあって雪が降るのでは……と思っているけど降らない。
週間天気予報を見ても、向こう一週間で降りそうな感じがない。
昨日の昼間に十数分だけ降ったのは山からの吹き降ろしだったようです。
まだ寒さが続くようなので、夜明けの出勤が楽になることはなさそう。
母の自転車を修理したいのだけど、ちょっと晴れてくれないかなぁ。
- 2019/01/27(日) 23:59:00|
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私はブログ記事のほかにローカルで日記を書いており、
2013年から始めて来月で6年目となります。
内容はブログ記事よりも細かく、出先で寄ったお店や買ったもの、
畑での収穫や作業、家族や知り合いとの会話で印象に残った話題など、
多岐に渡るわけですが……たまに書き忘れがある。
「(これは記録しておこう)」
そう思ったことは良いことも悪いことも記してあります。
ただ、それを数日にわたって記し忘れると何日前のことか思い出せない。
出来事は思い出せるけど、いつの話なのかは思い出せない。
大抵は3日以上前のことです。
……これって、どうにかならないものだろうか。
取っ掛かりになりそうな出来事があれば繋げて思い出せもしますが、
それが特になかった場合、本当に何日前のことなのか思い出せない。
そうした内容は、ほぼ"大きなこと"ではなく些細な出来事です。
何について何日くらい忘れるのかを制御できない以上、
日記の内容に欠落があること自体に不満が生じ続けます。
記録が習慣になっていると気になる。
いつの間にか、かなり神経質になっているのだと感じます。
結局、今回の思い出せなかったことは母に聞いて解決しました。
う~む、「書かねば」と思っていることは寝かせちゃダメだな。
- 2019/01/26(土) 23:59:00|
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お昼頃に電話会社からサービス勧誘の連絡が入り、
機種変更しませんか~と云った内容ではありましたが───
「七片様はスマートフォンご利用の予定などは……」
「現状のままでも特に問題がないので、ねぇ」
「そうですね……2009年から現在の機種をお使いですし」
───なんじゃって?
じゃあ私は同じ機種で10年も過ごしたのか。
まだ8年か9年目くらいだと思っていたのに。
「そんなわけです」
「バッテリーなどはいかがでしょう」
「一度サービスで新品と交換して、ずっとそのままですね」
外装はボロボロ、画面にも傷が入り、みっともない事この上なし。
それでもきっちり役目を果たしてくれて私も大した不満がない。
足りないものは代替できます。
もう少し一緒に戦ってもらおう。
- 2019/01/25(金) 23:59:00|
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本業が込んでいるので自宅に篭りきりでした。
焦っていると集中力が向上して効率が良くなるのは助かりますが、
脳の過回転は想像以上に消耗させるので、眠っても休めた気がしません。
よって目覚めても再び眠くなるわけで、
副業を入れる前までは疲労に任せて素直に寝直していました。
しかし数時間とは云え副業という拘束を作ってしまうと、
その拘束のために生活サイクルを固定する必要があります。
つまり眠くても寝直すことが出来ません。
が、これは悪いことばかりでもないようです。
ちょっと頭を休めるなら座ったまま数十分の居眠りでも十分。
何より、横になって眠ってしまうと数十分では済みません。
しっかり数時間は消費してしまうし、これが連続すると……太る。
この十数年で───
・脳が求める休養時間
・体が求める休養時間
・実際に休んだ時間
───これらが綺麗に揃うことはないと実感しました。
眠りすぎたり生活サイクルが崩れて抵抗力が下がるのです。
一方で、拘束のある生活は「少し不足がある休養」が続きます。
本業のみの頃を「廃棄が多い食生活」とすれば、副業込みは腹六文目。
肉体労働を追加した割に、むしろ健康状態は改善されつつあります。
必要なものは、ちょっと不足しているくらいが丁度いい?
- 2019/01/24(木) 23:59:00|
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先日の倉庫整理で生じた資源ゴミを処分しに行って来ました。
数十年前のダンボールは骨董価値を思わせる色合いです。
強度が低下しているので簡単に破れてしまう。
ゴミ出しには決まり事があり、守らなければ回収対象と見なされません。
よってゴミにも適した状態というものがあります。
たとえば内容物が残っている場合は処理してから捨てねばならず、
ゴミの種類によっては酷く汚れていても資源化対象として不適当。
それらの条件を一見して全て憶えるのは難しい。
今回のゴミは数十年間も保管されていた諸々の不用品で、
幸いにもホコリか錆にまみれた程度で済んでいました。
それらは特に処理する必要もなく回収されて行きます。
私が小学生の頃は、こうした分別などない時代でした。
成人を3人くらい放り込めそうなコンテナに投げ入れるのです。
生ゴミは、蓋と底を切り取ったドラム缶が焼却炉がわり。
自治体指定のゴミ袋なんてなかったし、まして買うという発想もない。
人生の途中で変化した習慣という意味では、なかなか大きなことです。
たまに、そのドラム缶焼却炉のことを思い出します。
親に頼まれてゴミを燃やしに行くことは珍しいことでもなく、
寒い時期には、めらめらと炎を上げるドラム缶を背に暖をとりました。
それが、ずうっと遠く生まれる前のことように思えてきます。
習慣としていたものが消えてしまい、かわりの何かが当たり前になると、
そうした過去が最初からなかったことのように、半ば否定されるわけです。
あと30年くらい過ごしたら、今度は何を見て同じ事を思い出すのだろう。
- 2019/01/23(水) 23:59:00|
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健康診断に行って来ました。
私は自営業で、一昨年末から副業を追加して一年になりますが、
副業における所定労働時間が少ないため健診は住民健診のままです。
さて、あれから私も体が絞れました。
椅子に座っての仕事を13年間も続けていた人間が肉体労働を追加し、
一ヶ月に数百グラムという、緩やかな減量を並行した結果───
<<7キロやせた>>
───あれ? 意外と少ない。
一昨年まで70キロ後半だったと記憶していますが、
昨年の健診記録では"前半"で、思ったより大きな減量ではなかった様子。
「ふむ、朝方に肉体労働……っと」
「幾らか体も絞れました」
「ねー、痩せたねぇ」
血圧は全く問題ない範囲となりましたが、身長が0.2mm縮んでいました。
これはどうせ髪の毛の差でしょうから無視。
血液検査の結果は来月なので、とりあえず用事の一つを消化です。
- 2019/01/22(火) 23:59:00|
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