「誰かが欲しがればゴミにでも値段をつけて売るのが商売」なんて言葉があります。
ずいぶん酷い表現ですが、それだけ「需要のあるもの」は多岐にわたっていて、
無価値と思える物にですら値段がつくこともあるということでしょうか。
今日は、会社の妹に忘れ物を届けた帰りにホームセンターへ寄りました。
畑で野菜を育てている私たちは、もちろん肥料やら農具が必要になり、
それらをまともに購入するのは財布に厳しいため、色々と策を講じます。
たとえば、農具はリサイクル店にて安価で状態の良いものを買ったり、
肥料は野菜の廃棄を利用したりするわけです。
その肥料の中に、近所の農家から分けていただける籾殻(もみがら)があります。
これは、そのまま田んぼの土に混ぜられて肥料にされたり、
燃やして炭になったものを土壌改良剤としたり、その用途は様々。
これが大量に出る場合、菜園で利用したい人に分けて消化することもあり、
私達も同様に、毎年ある農家へ行って分けていただくのです。
「勝手に持って帰っちゃっていいからね~」
───やや処分に困るものですらある様子。
「何なら全部でもいいよ」と云われそうな雰囲気です。
この籾殻をゴミ袋10枚分くらい分けていただくのですが、それでも減らない。
水分を吸って堆積した籾殻を掘ると、中からカブトムシの幼虫が出ることも。
いずれにしても、無料でいただける肥料として我が家でも重宝しているのでした。
さて話は戻って、ホームセンターの園芸コーナーでも肥料は扱っています。
ところが本日、その中に袋入りの籾殻を見つけました。
ホームセンターで見たのは初めてです。
「千円?!」
ゴミ一袋1.5枚分の容量で、その値段でした。
買っていたとしたら、10袋を消費した私達はいくら負担することになるのか。
籾殻はゴミではないし、この籾殻が店先に並ぶまでの手間もあります。
そこまでを経ずに利用できた私達は、幸運というほかありません。
母と二人で、目を丸くして値札を見つめるのでした。
年々、食べ物に対する感謝が強くなります。
- 2012/11/30(金) 22:41:40|
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今日はちょっと色々あって疲れました。
私は緊張やストレスで血圧が上がると「吐きたいけど吐けない」状態になり、
ゲホッと咳き込むことで一時的に解消されるのです。
とにかく苦しいし、本当に吐く時もあります。
これが最初に出たのは会社員の頃で、社の負担で資格を取得する時でした。
「まず不合格になんてならないよ」と、変に緊張しないよう云われていたのに、
私の脳はそれを曲解でもしたようです。
「合格できなかったら自分はどうしようもないアホだ」
この時点では何でもなかったことが、講習中に現れ始めます。
変な表現になりますが、後頭部で自分の血管がうごめく様な感覚がありました。
うなじの辺りから、頭に向かって血管の中を幼虫が這うような感じです。
その幼虫が血管よりも太いので、這われると痛い。
ぐるぐると目が回る感覚に吐き気を催し、とっさに咳をしました。
それによって解放された時から、咳に逃げるようになったらしいです。
それ以来───
・新規の仕事依頼が来る
・ラフのリテイクが続く
・仕事の日程が把握できていない
・私生活で何らかの問題が起こる
───こんな状況になると、咳ばかりしています。
さらに酷くなると左眼の奥に鈍痛が続くようにもなりました。
これらが血圧の上昇によるものだと知ったのは、5年後くらい前です。
それからは血圧が上がらないよう色々と注意してはいるのですが、
予定通りに行くことなんて、そうそうありません。
今日はそうした出来事だったので、また新たに症状が加わりました。
脳が考えることをやめてくれず、背中が痛くなって眠れないのです。
その状態に疲れて気絶するように休むのでした。
こんなことは滅多に無いものの、次第に無理が利かなくなっていると感じます。
この日記はガス抜きになっているので、頭を整理するにも丁度いい。
精神面の管理も重要になりつつある様子。
耳に水を入れて脳を冷やせたらいいのになぁ。
- 2012/11/29(木) 23:41:36|
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この日記を読まれている方は「パチソン」という言葉をご存知でしょうか。
「パチもの(偽物)ソング」のことだそうで、その多くにアニメの主題歌があり、
本来とは異なる人が歌ったものを収録した、大抵はカセットテープでした。
昭和に足を突っ込んでいる人なら分かると思いますが、
「本人が歌っているわけではない主題歌」なんて今日では考えづらいものの、
大らかというか意地悪というか、当時はそんなものがまかり通っていたわけですね。
今でもリサイクルショップでは売れ残っていたりするそうで、
中には「パチソンのほうが上手い」なんて本末転倒なものもあるとか。
そうしたものは「本物」に比べて安価であったらしく、
何も知らずに買ってしまうと大層がっかりする代物で、
テレビで聴いたものとラジカセから聴こえてくるものが違うのでは、
その作品に思い入れがある人なら尚のこと許し難いでしょう。
こう書く以上は私も「それ」を聴いたことがある子供の一人で、
親が買ってきたカセットテープを1本だけ持っていました。
私の親の世代ともなるとアニメに疎いのは仕方のない話ですし、
今でも実家にあるかは分かりませんが、私の場合は事情が異なります。
「きっとこれだろう」と、子供に買い与えたものが実は違う……としたら、
子供心を少なからず傷つけるものであったかも知れません。
そう、「本物を知っている子供」であれば。
───というのは、私が聴いた収録内容は観たことのないアニメだったのです。
それらは私が生まれる前(あるいは幼年期)に放送されていた作品で、
本編で流れていたかどうかも、VHSすら高価だった時代に知る由がありません。
こうなると私の中ではパチソンの方が「慣れ親しんだもの」になります。
それが本物ではなかったことを、つい最近あることで知りました。
別に残念だとは思いませんでしたが、困るのは修正です。
"本物"に違和感が生じてしまうので、久々に聴いても懐かしさが沸いてこない。
大人の事情に付き合わされた子供(だった私)としては、とんだ災難といえます。
よく海外でも複製商品が問題になったりしますが、
「ここではそれが普通」という感覚が、なんとなく分かる気もします。
分かるだけですけどね。
- 2012/11/28(水) 22:10:00|
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昔、倉庫業の仕事をしていた時に腰を痛めたせいか、
この時期になると、寝起きから下半身に重さを感じるようになりました。
そして私は昔から燃費の悪い体質らしく、空腹の少し手前から体温が下がり始めます。
食後すぐに体温が上がり、コタツの中で丸まるがごとくポカポカと暖かいので、
下手な暖をとるくらいなら、食って体温を上げたほうが手っ取り早いのです。
ところで先日、母に和雑貨を買った日の私は昼から何も食べないままでした。
夕食まで2時間くらいだったにも関わらず、外食で済ませてしまいました。
この時も外の寒さで腰が痛かったのですが───
[この豚丼おいしいなぁ]
───食事を済ませて席を立つ頃には、腰の痛みが消えていました。
「食べて体温が上がりましたよ」と云うことだったらしいです。
ついさっき、いなり寿司を食べて腰の重さが消えました。
もうなんだか自分の体に腹が立ちます。
そう云えば、車を降りる時にパチッと静電気が出るようになったのは昨年から。
ある方に「歳をとったからですよ」と云われていたっけ。
この腰痛にしろ静電気にしろ……。
うわあ、老化って面倒くさぁい。
- 2012/11/27(火) 17:24:40|
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私の血液型はO型で、献血では需要があるらしく光栄な話ですが、
ちょっとネットをやっていると時々見かけるのが血液型別の性格判断です。
もちろんこの手の話には食傷していて、適当に話題を合わせる以上のことはしませんが、
そうした中で目に付くのが、やたらと槍玉に挙げられているB型の人です。
・自己中心的である
・人の話を聞かない
・感情的になりやすい
───なんて酷い云われよう。
私の友人や知人にはB型が多いものの、気になるほど該当するわけではなく、
むしろ私自身が「A型だと思ってた」「B型だと思ってた」と云われるので、
やはり当てにならないものだと感じます。
ここで私の周囲におけるB型人間の特徴などを書いてみましょう。
怒られそうだから誰とは書きませんし、できるだけ肯定的に。
(1)
・のんびり屋だけどピンチには駆けつける。
・ほとんど感情的にならない。
・「No」と云えない。
・一番好きなものを聞いても「二番目に好きなもの」を答える。
(2)
・楽しむためなら多少は自分を犠牲にする。
・お調子者に見えるが我慢強い。
・純粋で力のある発言をする時がある。
・嘘を吐くのが下手。
(3)
・でんと構えて動じない。
・他人の意見に振り回されにくい。
・父親的な安心感。
・世渡り上手。
(4)
・色々と豪快。
・積極的に笑いをとりに行くタイプ。
・年下にとっては頼もしいけど、同じくらい年下に頼る。
・自分の家族の前では割とクール。
───こんな感じでしょうか。
ちなみに先日、私は弟妹に以下のような評価を下されました。
■妹
・説教臭い。
・ツッコミが多い。
・ほっといて欲しい時を分かってもらえない。
■弟(上の発言を受けて)
・年上が説教臭く思えるのは当たり前だし、別に気にならない。
・何もツッこまなかったら会話にならない。
・そこがいいんだ。
───だそうです。
そうか、兄ちゃん説教臭いか、ごめんね。
それはともかく(血液型に関係あるかもともかく)、
B型は悪く云われすぎだと思います。
- 2012/11/26(月) 16:08:16|
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チケットを貰ったので、母と妹の三人で美術館へ行きました。
もともと(絵描きなのに)美術館へ通うようなことがない私は、
自分とは別次元の作品を見るにつけ、なんとも不思議な感覚を持ち帰ります。
その感覚は「自分の創作意欲に繋がる何か」ではなく、
他人の夢の内容を覗き見たような、自分の中にはない思考が入り込む感じです。
そうして何かを感じた時、私は作品について誰かと語り合うことをしません。
これは私の考え方ではありますが、誰かと感覚を共有すると平坦になるからです。
そうして滑らかなガラス板にすると、それはささくれがなくて気持ち良いのですが、
柔らかい食べ物ばかりを与えられたようで、時に歯ごたえが欲しくなる。
自分の中で良いように変形するかも知れないし、そのまま風化するかも知れない。
私は自分の作品に芸術性があるとは欠片も思っていないので、
こうして鑑賞者に何かを訴えることが出来るのは、私と芸術の違いなのかなと思います。
あるいは、何度か美術作品を目にする機会を増やせば分かるのかも知れませんが。
でも、理解できないならそれはそれで一つの解であるとも考えます。
人間は誰でも片方の人生しか生きられず、ふたつの道を同時には歩けません。
二足の草鞋(わらじ)を履けば、一つの終点に絞った結果を得られないからです。
こんな私の考え方が愚かであるとして、その愚かさにも終点はあるはず。
愚か者の終点になど誰も立ちたくないから、自分がやってみてもいい。
「だめだった」ということを確認する作業とも云えます。
起き抜けの私に、美術館へ行こうと誘ってくれたのは母でした。
御礼というわけではないですが、その後に寄ったデパートで和雑貨市があったので、
以前から母が欲しがっていた、和柄の小さな枕を買ってプレゼントしました。
とても喜んでくれたので何よりです。
- 2012/11/25(日) 20:10:10|
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妹の買い物に付き合って外出していました。
その少し前まで、弟が急な仕事で車を使っていたのですが、
同僚がまじめに仕事をしてくれないことを嘆いていました。
やや責任のある立場になり、働き方にも口を出さねばならない一方で、
同僚の失敗を庇っても奏功しない状態に苛立っている様子。
今日は一ヶ月前から取っていた休暇のはずでした。
愚痴を聞いていて、私は弟をずいぶんと見誤っていたと思いました。
私なら「そんなの上司に云って処分してもらえばいい」と切り捨てるところを、
彼はギリギリのところで繋ぎとめ、成功も失敗も取り込もうとするからです。
「でも今度入って来た新人さんは凄い頑張り屋でさー」
「お、入ったのか」
「うん、主婦の人なんだけど礼儀正しくて───」
昨日の日記の続きになりますが、こうした話は妹からも聞くため、
会社という組織から出てしまった私には、なんとなく羨ましくもあります。
私には上司も同僚も部下も居ないから、そうした形の刺激がないのです。
どちらが良いことなのか。
こういう話をしていると、我が家では大体が同じ台詞に落ち着きます。
「まぁ、人間て『無いものねだり』するよね」
結局はそういうことなのでしょう。
私も今さら会社で働きたいとは思いません。
でもちょっと寂しいなぁ……無給で働いてくれるマネージャーが欲しい。
- 2012/11/24(土) 23:39:05|
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私の自宅近くには小売店や飲食店の駐車場が多く、
また人通りの多い路地に面していることから、屋外の騒音が入り易い環境です。
そうすると人の話し声やらはテレビを差し置いて聞こえることもあります。
この仕事を始めて以来、いわゆる朝に出勤して夕方に退社する形態から外れ、
普通の人とは異なる時間帯を見聞きする身分になりましたが、
会社の中に居ては分からないことが色々と見えてくるのです。
その一つとして時間帯別の話し声があります。
話の内容までは分かりませんが、声色で大体の年齢や性別が窺い知れます。
・午前───園児とママさんの声
・午後───学生や大人
・夕方───同上
・夜間───大人
最後の「夜間」ですが、これは夜中の4時でも大声で話すのは必ず大人です。
飲んで帰るところなのかスーツ姿の男性が大半。
事故かと思うほどの大声を出す時があるので、嫌でも確認してしまいます。
実際に"事故"が発生した時もあって、酔っ払った女性が暴れていたりだとか、
タクシーの運転手さんに怒鳴りつける営業マンらしき男性だとか、
いずれも往来で堂々と一悶着あるのは大人だけ。
平日に子供が集合する施設が学校であることに対し、
大人は様々な場所で働くため、その先々で問題が起こることもあり、
その一例が私の自宅前で繰り広げられているのだと分かります。
始業や終業のチャイムを聞かなくなって10年経ちました。
これからの私にとっては、こんな自宅前の様子を知らされることが当たり前であり、
そして知ることが出来なくなるとしたら、今の仕事を辞めてしまった時です。
そうならないように努める傍ら、なかば窓の外とは切り離されてしまった私は、
今後も外の様子を見知るにつけ10年前との違いを実感するのでしょうか。
この仕事をする前に「多くの人の中で働く経験」をしておいて良かったと思います。
- 2012/11/23(金) 21:27:59|
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明日は祝日なのに出勤だ───と家族が嘆いていますが、
私は明日が祝日だということを忘れて、仕事の調整を誤りました。
先方が営業していない時にメールを入れても、返って来ないからです。
祝日が仕事になるのは、私が会社勤めをしていた時からよくあることで、
工場関係などは割とそうした傾向にあり、なかば当たり前と捉えていました。
それが今や、休日の設定が基本的に自由である身分になるとは皮肉な話です。
では、そうして設定された休日が会社勤めの頃より多いか少ないかと考えた時、
数えたことはないし、労働時間も計ったことがないので分かりません。
絵を描く時が"仕事"だとすれば、必要な情報を仕入れる時間も含まれそうですが、
ついでに無関係な情報収集に時間を割いているなら、除外されるべきでもあります。
そうすると分類が複雑になってしまうので、これからも考える予定はありません。
仕事は楽しいし、だからこそ休日が短かったとして不満は少ないです。
しかし好きで続けていたことが仕事になり、労働の義務が発生すると、
そこにストレスが生まれ、つまり好きなことがストレスになります。
では、そうしたストレスから解放された時は何をしているか。
のんびりするなり、様々な用事を消化するなり色々ありますが、
「好きなこと」を自由に考える時間でもあるので、また基本に戻るわけです。
こうして見ると、私は始点と終点が分からない仕事をしていると感じます。
それが生活の大部分となってしまった今、2歳の頃から続けている作業は、
私が考えもしなかった形で一心同体となったようです。
数十年後にも同じようなことを考えていたりするのでしょうか。
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず
今のところ「三十」の部分はピッタリ当てはまりました。
- 2012/11/22(木) 21:42:01|
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九州出身の母が「とり天」を作ってくれたので御馳走になりました。
妹の唐揚げに並んで私の大好物であり、しばしば食べ過ぎます。
我が家では衣に片栗粉を混ぜるため、外はサクサク、中身はジューシー。
「うまい……もう仕事する気がなくなる……」
「今日のはちょっと上手く行かなかった気がするけど」
「いやいや、うまいよ」
美味しいものを食べた時など、
眉間にシワを寄せて「うまい」と云い始めたら歳をくった証拠だそうです。
歳をくうのは嬉しくないけど、とり天を食う時は至福の時間であります。
その後、ちょっと足りなくなった食材を買いに行ったのですが───
「うーん……」
「んー……」
「満腹だと、こんなにも買う気がなくなるんだね」
「そうねぇ」
───安かったりすると買い込んでしまうものも、
食事を済ませてしまうと、まさしく「食指が伸びない」状態になります。
節約に使えそう。
- 2012/11/21(水) 23:59:59|
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