第27緑化地区

フリーイラストレーター七片藍のブログ/第27緑化地区

頼りになるかは微妙な奴

本日も昨日と同じですが殆ど仕事に傾いています。
畑に行けないので、母が代わりに白菜の苗を植えたそうです。
私がやりたかったのに……しかし今はそれどころじゃない。

GWや盆暮れ正月のほかで三日連休は初めてでしたが、
ほぼ仕事と用事だけで消化してしまいました。

副業を始めてから、24時間の全てを本業に傾けられなくなり、
「あと数時間あれば」と感じることが増え、それがストレスでした。
思い切って描けないわけです。

しかし、机に向かって無為に過ごすことがあるのも事実。
いわゆる「逆さまにしても何も出て来ない」というやつで、
こうなると時間だけが過ぎて行き、むしろ他のことをしたほうがいい。

自分の持ち物なのに出し入れが不自由。
燃費があって、鮮度があって、無理が利いて、有限とも無限とも。

能力とは生き物みたいなものですね。

  1. 2019/10/20(日) 23:59:00|
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門前の中年

副業の現場は、夜明け前からの悪天候で強風にさらされました。
台車が独りでに動いたりして風の強さを物語ります。

ところで今年の本業は珍しく書籍案件が数件目になり、
出版業界が頑張っているのかなと考えながら仕事をしています。
着手中の案件は、久しぶりに好きな題材なので私も頑張りたい。

そんな中、題材に動物が必要だったので描き入れることにしました。
そうした注文はなかったものの特徴の一つだったからです。

私の仕事で必要とされる動物の種類は多岐にわたります。
怪物の多くは動物の"部品"を取り入れたものが大半なので、
昆虫から大型獣に至るまで、その姿形についての知識も必要です。

そんなことが十数年前から何度となく続いてきたわけですが、
ラフを描くにあたって構図に頭を抱えていたところ、
さらっと描いたものが意外に上手く描けました。

「(あれ? 行けそう……?)」

少し前の記事にも書いたとおり、私は見ながら描くのが苦手です。
白い紙面から視線を外してしまうと感覚が鈍ってしまう。
動くものを捕捉する時、瞬きを減らすのと同じ。

さりとて人間よりも動物を見る機会は限られるため、
間違いを防ぐため仕方なく資料と突き合わせねばなりませんが、
それを「見なくても描けた」というのは小さいながら驚きでした。

この十数年で、いつの間にか身に付いていたようです。
ひとまず最初の壁は早々に取り払われました。

最初の壁は、ね……。

  1. 2019/09/23(月) 23:59:00|
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研ぎ澄ます必中

直近の仕事に全力を尽くしておりました。
ラフの段階でも全力を尽くすのは、これが行き先を決めるからです。

この仕事に携わった初期には、ラフはラフとしてだけ描き、
あとはそれを見ながら描くという手法を取っていました。
しかし細大に関わらず思ったように描けなかったのです。

その後、ラフをトレースする形に変わっています。
大抵は弄る箇所が膨大なので「そこそこ似ている完成品」となりますが、
ラフ時の閃きや感覚を引き継がせやすく、"道草"を減らす効果がありました。

ここで云う道草とは、ラフを踏襲せず手癖で描いて失敗することです。
私は見ながら描くのが苦手で、学校の美術でも同じでした。
描き写す対象に視線を移すのが苦痛だったようですね。

しかし、ラフがあり本番(ブラッシュアップ)がある"仕事"において、
いちいち道草を食っていては瞬く間に〆切が迫ってしまいます。
定められた期日に納品することも仕事の一つです。

従って、トレースに変えてからはラフが全体の出来を決めてしまいます。
ガチャリとチャンネルを切り替えるように、意識と感性の手綱を引く。

冒険が減り、偶然が減り、「なんとなく上手く描けた」という幸運も減り、
かわりに一撃で心臓を射抜くような矢を射る。

職人ってそういうものだと考えています。

  1. 2019/09/11(水) 23:59:00|
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習うより悩め

昨日は雨、本日も朝から雨……ああ畑に草が茂る。

今日は本業を中心に過ごしていました。
いつもの「どのような姿の人物や怪物であるか」を描くのではなく、
状況(または状態)の説明に主眼を置いており、やや毛色が違います。

こういう依頼の楽しさは、前者では描かない表情を扱う点です。
私が手掛ける題材というと大抵はキャラクターの紹介的なもので───

(A)普通に直立した姿
(B)戦闘の様子
(C)攻撃の様子が分かる構図

───直接的かつ限定的です。
これに対して、生活の営みにおける人間の表情や所作は無限に近い。

イラストは1枚きりで状況を説明しきらねばならず、
漫画や映像のように前後のコマ(フレーム)はありませんから、
それらがなくとも分かることが大前提であり、切り取りには吟味が必要です。

また、TCG等では事前にフレーバーテキストや物語を知らされませんし、
本の挿絵でも都合よく欄外コメントが入ってくれるわけではありません。
依頼内容と掲載文章との関連が食い違うことさえあります。

こうした不可抗力に「使えなくもない構図」を考えることも重要で、
限定的な構図は拡大解釈の選択肢を狭めるという欠点を併せ持つため、
あえて「そう見えなくもない」という構図を採用したりします。

今回の仕事は、上記における(A~C)とは異なる題材で、
出来事の一歩ないし数歩手前、あるいは出来事を想起させる仕草等、
「出来事そのものを描くわけではない」という内容でした。

これが難しいわけですが、想像力を働かせるのが楽しい。
何度も読み返したはずの本に、何ページかの読み落としがある感じ。
頭の中にある引き出しに、自分でも知らなかった閃きがある。

楽だとは云わないけど。

  1. 2019/08/28(水) 23:59:00|
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地道

本業での案件にて、同じ描き込みが数十箇所も必要だと分かり、
当初に予定していた〆切では危ないと判断し相談することとなりました。

仕事上、絵は手描き(アナログ)とCG(デジタル)に大別されますが、
これは「実物の画材や完成品という概念がない」という点においてのみで、
CGならば全てがボタン1つかと云うと、もちろんそうではありません。

「実物の画材を使用しないが作業そのものは手描きと同じ」とも表現でき、
ある程度を簡便化、または負担の軽減が可能なものの、
せかせか描くこと自体はアナログと変わらなかったりします。

よって同じようなものが幾つも続く作業は大変で、地味にキツい工程です。

「───というわけで、さらっと数えただけでも60個くらいでした」
「その点については当方も見落としておりました……再検討します」

結果〆切が延びて助かりましたが……。

CGは同じものを量産するのが得意であるものの、
絵の中であろうと全くの同条件で存在するものは僅かです。
異なる条件で同じものを描く必要があれば、簡便化が利かなくなります。

すると結局は手描きと同じ次元に戻るわけです。
合理化できることは無くもないのですが、不可逆化しやすい。

ブツブツ云ってないで、やるしかないか。

  1. 2019/07/16(火) 23:59:00|
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九を聞いて十を知る

今日も仕事だけです。
毎度のことですが、色々と分かって来るのは依頼の終盤くらい。
何日もかけて描き上げる割に、"要点"が完成間近に集中している感じです。

いつもいつも、一体これは何なのでしょう。
余計なものが削げ落ちて感性が剥き出しになり、じかに理解するのか。
汚れたエアフィルターが外れて、新鮮な空気で頭がスッキリする感じ?

それが積み重なって次に繋がるのだから無駄ではないのでしょうが、
なんと云うか、こう、取っ掛かりが最初のほうにあってもいいじゃない?

……なんて、自分の作品に情けを乞い始めたら最後なんだろうな。

  1. 2019/05/23(木) 23:59:00|
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歩く大福

母が地元のイベントに参加したところ何人かの知人に会い、
一昨日の記事で書いた「夢に出てきた同級生」の親御さんに会ったとか。
奇妙な偶然があるものです。

ところで、私の記録によれば昨年から一年以上も寝酒を飲まずにいます。
大抵はビール1本程度でしたし、体調を崩すほどの常飲でもなく、
まして医者に断酒を勧められていたわけでもありません。

とにかく"休肝日"の長い飲み方で、3~4日ほど寝酒が続いた後、
ぱったり2・3週間くらいは飲まずに過ごすのが私の飲み方。
独り暮らしの寝酒だから当然ながら独り酒。

寝つきの悪い私が寝酒を飲むのは「何も考えずに眠りたい時」だけでしたが、
ある方法を思いついて実践した結果、いつの間にか眠れるようになりました。

その方法とは、結末を用意した空想の反復です。

専用の短い"お話"を作り、眠る前に思い出して繰り返すだけ。
結末が決まっている話なので、始まりも終わりも何もかも同じ。

重要なのは、話を改変しないこと。
新たに何か考え始めてしまったら、また冒頭に戻します。
ようするに、読み飽きた話で頭をウンザリさせるわけです。

ちなみにどのような話かと云うと───

・大福に目と口だけを描いたような小さな生き物が森から出て来ました。
 彼は奴隷で、人間に冬場の食べ物を分けてもらうよう仲間に命じられ、
 民家の庭に迷い込んだところ、家の主である老人に出会いました。

 人間は彼らを踏み潰せるほどに大きな体であり、天敵でした。
 しかし仲間の居る巣に逃げ戻れば、彼は仲間に何日もぶたれます。

 彼は命令どおりに食べ物を分けてもらおうと事情を話しましたが、
 老人は「もう巣に戻ってはいけないよ」と云って彼を保護したので、
 その後は幸せに過ごしました。

───これだけ。

面白くない、でも面白さは求めていません。
当たり前ですが上記の文章を頭の中で暗誦するわけではなく、
あくまでシーンを空想して、終わったら繰り返すだけです。

ここ1年くらい、ずっとこの空想を繰り返しています。
脳が「あぁ、またか」と思って休む体勢に入りやすくなるのか、
びっくりするくらい寝つきがいい。

考えを掘り下げないことが安眠への近道。
脳が"考えること"を止めてくれないのが苦痛だったのですが、
考えることを単純化することで対策できました。

今日も彼は老人に出会います。

  1. 2019/05/19(日) 23:59:00|
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姿なきもの

畑で10分程度の作業を済ませ、お昼前に洗濯物も取り込み、
その十数分後に激しい雨……フフフ、気持ちがいいくらいに抜かりがない。
さぁもっと降れ、明日は休みなんだ、どうせ仕事なんだけど。

その仕事(本業)ですが、久し振りに怪物系の依頼が来ています。
このところ「趣味では描かない系統」が主題の依頼が続いたせいか、
久々の怪物は、想像を加速させる音楽の種類を変えさせ、私を攻撃的にさせます。

とは云っても「言葉づかいや車の運転が荒っぽくなる」という風なものではなく、
爪や牙、翼や筋肉、実在しない体躯といったものへの"執着"が強くなるのです。
視線が液晶ディスプレイを貫いて向こう側まで届く感じ。

怪物は、(実在すれば)その殆どが有害な存在と云って差し支えないでしょう。
その容貌に慄然とし、容易く人間を薙ぎ倒し、文明社会のか弱い営みを脅かす。

「居ないと分かっていても無用な不安を抱かせる」という要素をはらむので、
それのみに注目すれば悪趣味な創作物であることは否定できません。
小学生の時、私の絵を見て「あんた自殺するわ」と告げた女子が居たなぁ。

ただ、人が暗闇や不可解なものに恐怖する時、
それが漠然とした不安の塊であるよりかは、何か少しでも輪郭が見えたり、
望めば触れて確かめられる実在であるほうが、より御しやすいでしょう。

「居ないと分かっているから安心できる」という意味では優しい存在。

そんな彼らに"姿を与える"のが、今の仕事であると考えています。
そこに私が納得できる形の、彼らなりの誇らしさがあれば尚いい。

人間の一つ上に君臨するものと云えば自然災害が挙げられそうですが、
彼らは明確な意思をもって自ら有害たらんとし、それを省みることなどしない。

人間も同じようなものですが、そこに倫理や道徳といった感傷を持たず、
むしろ己の牙や爪、隆々たる筋骨のように破壊を一筋に求めた攻撃性は、
人間の代わりに憎まれ役を引き受けています。

そして彼らは憎まれることすら歯牙にもかけはしない。
人間の中にある矛盾を嘲笑うからこそ、彼らを愛しく感じるのではないか。

そう考えると、姿を与えずにはいられない。
私の幼稚な技術で出来ることは限られますが、彼らの遊び相手は少ないから、
ままごとのような落描きで「お前は物好きな阿呆だな」と笑われたい。

一生やめられそうにありません。

  1. 2019/05/14(火) 00:00:00|
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無理のない無理

ここしばらく、本業と副業の間に引越しの準備や畑を挟んでいましたが、
今月から来月半ばにかけて本業が忙しくなっており、全く余裕がない。
全体的に、やることが過密状態にあります。

そのため引越し準備は「ほどほど」にする予定です。
幸い畑も大掛かりな用地確保を終えたので、仕事に集中できそう。

そしてきっちり眠らないと集中力が維持できない。
この本業も十数年になりますが───

「やめたくなったことはあるか?」

───と聞かれれば、「何度かある」と返さざるを得ません。
好きなことを仕事にするのは、好きなことに義務や責任を作ること。
同時に、好きなことが「嫌いになる原因」をも作ってしまいます。

好きなことだから続けられるとは限らず、
好きなことだからと云って、辞めたくならないとも限らない。

そうした「色々なことが重なったパンク状態」の時に、
自分が途方もない勘違いをしているのではないかと考えます。

絵を仕事にする上で「絵が描ける」という技能は必要最低限の"資格"です。
その先々で───

・仕事上で生じる様々なトラブルに対処する
・描くために必要なものを判断し集める
・依頼内容を正確に把握し再現する
・期日まで仕上げる
・技術を向上させる

───等々、幾つかセットになったものを毎度消化せねばなりません。
描ければ仕事になるわけではないし、仕事なら何でも描けるわけではない。
自分の弱点を知っている人ほど無鉄砲なことは避けるものです。

さりとて私は独学ですから、世間が良しとする教育や学歴も持たず、
実績はゼロから作り、必要に応じて消化してきただけの人間です。
その度にガムシャラな仕事で塗りつぶし、きっと今回も同じでしょう。

弱気になるのは弱い時、強気でいられるのは強い時。
しかし歳を重ねれば体力と気力も衰える一方ですから、
いつまでも無敵な気分でおらず、きちんと調整する必要があります。

そう云えば、小学生の時に体育でマラソンがあった時、
たまたま自分が先頭になり、皆が私の後ろに回ろうとするため、
仕方なく先頭を維持するしかなく、初っ端でスタミナ切れを起こしたな。

級友には、その後しばらく散々バカにされました。
別に先頭になりたかったわけではなく、邪魔にならないよう引き離しただけ。
勝手に追い抜いてくれると思いきや、ぴったり後ろについて離れない。

今の私にとっての仕事は、あの時の彼らみたいなものです。
スタミナ切れを起こさない走り方を心がけねばなりません。
後ろから突き上げを食らってから動くくらいが丁度いいかもしれない。

……催促されてから仕事をするのって嫌いなんだけどな。

  1. 2019/05/08(水) 23:59:00|
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這い虫の意地

仕事(本業)が一つのシリーズを完了しました。
諸般の事情で作品そのものを掲載することは出来ませんが、
昨年から一通りを任され、かっちり描き遂げられて安心しています。

CGでの作画というとパソコンのマシンパワーがものを云いそうですが、
実際には、地味に省略が利かない行程や手作業のほうが良い点もあり、
パソコン環境を変えるより、自分を変えたほうが良いことも多いです。

そのためには「自分が何を苦手としているか」に気づく必要があります。
時間ばかり浪費したり、厄介で中々手をつけなかったりする行程や、
以前から改善するつもりが手クセで試していなかった行程など。

サボっているつもりはなくとも、忙しいと冒険する気もなくなります。
そこを少し、ほんの少しでいいから次に繋がる何かをする。
それを取っ掛かりにして、次の仕事で再び少し手をつける。

3回目くらいで本腰を入れて実装してみる。
すると、作業環境の良し悪しよりも自分の処理に問題があると分かります。
一人での仕事は"手本がない"ことでもあるので、気づきにくいわけですね。

自分の技術が足らないから上手く行かないのか。
あるいは手段が良くないから上手く行かないのか。
はたまた数をこなしていないから上手く行かないのか。

独学ゆえの行き詰まりには、こういう落とし穴が無数にあります。
この仕事も14年になるけれど、道の始まりで這っているだけのような気もする。

……とっくに引き返せなくなっているし、死ぬまでやるだけだ。

  1. 2019/04/20(土) 23:59:00|
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七片 藍

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