恐さの分離

ある調べもので恐怖画像を扱った記事に行き着き、
その中に一枚だけ、沼の水面に立つ幽霊の画像がありました。
酷い画像は見慣れてしまいましたが、ふと思い立って"沼"で検索をかけます。

地元から市外へ走ると大きな池があり、私はこれが非常に苦手です。
水深不明で底が見えず、水面下10センチも下れば魚影が消えるほど。

この、おぼろげな水棲生物の影と巨大な沼や池(または湖)という組み合わせ。

濁った25Mプールで3メートルを越す正体不明の黒い影が泳いでいたら、
私は迷わず屋内へ取って返すほどに平常心を逆撫でされるでしょう。
小学四年生まで泳げなかったのが大きな理由かも知れません。

ところが検索結果として出てきた画像に恐怖を感じるものが少なく、
ここで疑問になったのは、どのような条件を怖いと思っているかでした。

・水面に景色が反射していると怖い? → ものによる
・濁っていて水中が見えないと怖い? → そうでもなかった
・規模が大きいと怖い? → 小さくても怖いものがある
・実物と画像で違う?  → どちらでも

───いまいち明確でない。
「これはダメだけど、あれは平気」という感じです。
数年前に友人とボートに乗った時は平気だったりします。

一つ確かなことは、全長2メートルの魚を上から見るのは怖いということ。
上記のボートで大きな魚に横付けされたら悲鳴を上げていたでしょう。
深い池や沼で巨大な魚を上から見る……という条件なら確実なようです。

しかし冒頭に書いた市外の池では魚を見たことがありません。
あの池に感じている恐怖は何なのか。

これがハッキリすれば、作品に活かせそうな気がします。

許容量

本日も仕事だけの一日。
新規案件は色々と気を遣うので、思いつくことは何でもやっておきます。

「今後も続く案件」か「一回だけ(または数回)の挿し込み」かは、
最初に明言されることもあれば、何も云われず続くこともあって曖昧です。
そして多ければ良いというわけでもありません。

案件が複数になると自主的に日程を管理しはじめますが、
10年も続けていれば「年間で消化できる作業量」も決まってきます。
複数案件では個別の納期交渉や一年を通しての見通しも必要となるのです。

その中での新規案件は、嬉しい反面に新たな問題となります。
簡単に云えば、一つの押入れに収納する布団の枚数が増えるようなことです。

圧縮袋で体積を減らして収納数を増やす……という考え方も出来ます。
例えば作業の合理化が最たる例で、これなどは部分的な所要時間の圧縮です。
もちろん毎日・毎回のことですから、一念発起するほどのことではありません。

問題は、限界の作業量(押入れの容積)は簡単に変えられないということ。
今ひとつは、案件の性質(布団の大きさ)が同じであるとは限らないことです。

とくに後者の場合、共通点は「納期までに絵を描いて納める」という一点だけ。
依頼内容や作品仕様の違いは、納期(時間)という概念にまとめられます。
そして納期までに納められないと収入が先送りになるのです。

一年を通して同じような作業を続けているようでいて、実は結構な違いがある。
新規案件は「これで大丈夫だろうか」という相手の腹を探る意味もあって、
いちいちラフを描き重ねていては時間を浪費するばかり。

そのような理由から、新規案件は色々と気を遣います。
そして継続案件であるとも限らないわけで、徒労に終わることもしばしば。

夏休みの宿題を最終日に終わらせていた人間の仕事とは思えないなぁ。

もうすぐ一回り

(昨日の日記は掲載忘れです)

ほぼ仕事だけで一日が終わりました。
私は「今日はここまで」と線引きした段階までは必ず進めます。
小心者で、目覚めた時に予定よりも進んでいないと不安になるからです。

この仕事も間もなく12年となり、初期と比べれば色々と改善もされましたが、
改善によって確保された余裕(時間)は新たな挑戦に吸い取られるため、
結局のところ全体の所要時間は大差がありません。

私には代役を頼む同僚や部下が居ないし、責任を取らせる上司も居ない。
毎日このことを肝に銘じて「これから」を考えます。
本当に続けていけるのか、生きていけるのか。

……なんて、その時々で上手くやるしかないじゃない。

[私信]
:Mさん
彼から届くのを楽しみにしていますので、その時はブログにも書くことでしょう。
私は鼻が弱いため刺激物を口にする時はクシャミが出たりしますが、
それで食べるのをやめた食材はないので、きっと大丈夫。

最初から美味しいと思えるものと、慣れることで美味しいと感じるものがあって、
今回はどちらに当たるのか分かりませんが興味は尽きません。

母の件についてもご心配いただき恐縮です。
現在は少しずつ元の生活に戻りつつあり、おっかなびっくりの毎日です。

20170101

明けましておめでとうございます。
本年も私およびetherをよろしくお願い申し上げます。

雪も雨もない穏やかな年越しとなり、ひとまずは安心。
本日は弟の彼女さんの御実家にお呼ばれしての食事でした。
元旦から人様のお宅に上がり込むのは気が引けますが、今回は招待です。

さて仕事は11年と247日を迎え、そろそろ板についてきたかなと考えています。
何か新しいことを始めるわけではないものの鍛錬は日々のことでもあり、
およそ今後も続くことですから、中弛みする時期でもあると思うのです。

仕事に対して一定の緊張を保つのは当然のこと、初心も忘れてはいけませんが、
今後の私に生じる可能性があるものとしては、作品が「退屈なもの」になること。
見る人が「ああ、七片の絵だな」という感想すらなくなること。

同じ作者の作品を十年も見ていれば、クセも落とし所も分かるというものです。
そうそう目新しいものを打ち出して行けるものではなくても、
私なりの表現が薄味になることだけは避けねばなりません。

そうした上で今年の抱負は「煮詰める」とします。
そこそこ手癖で描けるものが増えた以上は長々と手本を頼りにせず、
ひとまず正確さや緻密さを無視してでも、くどい表現で濁るまで煮詰めてみたい。

要するに趣味を前面に押し出し、メーターを振り切らせたいです。
綺麗にまとめるのは、引き出しの中身を全て出してしまった後でもいい。

いっぺん散らかす……という、ちょっと酔っ払った感じで描きたいです。

実績

自営業の母が仕事納めだったので食事に連れて行きました。
今年は私の仕事も忙しかったものの、それにも増して母が大変だったので、
労う意味も兼ねて炊事をさせたくなかったのが大きな理由です。

ところで少し前に年末か年明けでサイト更新予定だと書きましたが、
本日の確認にて、年単位で実装待ちだった作品の多くが公開されました。
とうとう掲載予定が20点を越え、いよいよ「年に一度」での消化は無理です。

そんなわけで各作品の解題を書いている最中です。
掲載用サイズに合わせたりサムネイルを作るのも結構な量でございます。

この作業、もう17年もやってるんですね……長いわ……。

塩加減

今日も仕事づけです。

この仕事をしていると、題材によって明らかに注力の差が出ると分かります。
原稿料の多少による「この品質でいいや」という話ではありません。
具体的には、一枚の絵に投入される情報量の密度みたいなものです。

極端な例を挙げれば、昆虫と恐竜を別々に描くという依頼の場合。
一枚の絵とする以上は、それなりに"欲しい密度"みたいなものがあります。
どうしても細かく描かれがちなのは恐竜です。

虫眼鏡を使って昆虫を観察し、微細な模様や体毛で密度を上げても、
ある程度まで描ききってしまうと密度にも限界があると分かります。
実在の生物を題材とする以上、存在しないものは描けないからです。

では、それが怪物である場合はどうか。
誰も本物を見たことがないし、そもそも本物が存在しません。

そして依頼で描く場合、大抵は怪物にも色々な設定があるわけですが、
とくに細かく設けられていない場合、新たに情報を添加することも出来ます。

問題なのは「これ以上の設定は必要ない」とされた、お手本のように描く場合です。

密度を上げる要素を断たれた上で、いかにして情報量を増やすか。
ようするに、退屈なものを面白くするには……という課題。

現在、手がけている仕事が「それ」です。

「なんだこの部屋は!」

一晩ずっと机に向かい、殆ど仕事が進まないと背筋が凍りそうになります。
こういう緊張がないと堕落する一方ですが、夕涼みには早い時間です。
今日はそれくらい暑い一日でした。

私が仕事で最も頭を使うのがラフです。
ラフさえ上がってしまえば、あとは完成まで形を整えるだけ。

毎度こうして真っ白な紙面の中に想像を放り出される時、
出入り口や継ぎ目のない部屋に閉じ込められた気分になります。
「さて、どうやって脱出したものか」と考えるのが私の仕事です。

空想の世界は自由かつ無責任であり、怪物そのもの。
その怪物は、部屋を破壊するか瞬間移動で脱出することができ、
ようやく閉じ込めて安堵した人間を震え上がらせる存在です。

そんな奴が部屋から出て来ない。
中で死んでいるのか、出ることなど諦めたのか。

ふと思いましたが、怪物とは私の体力や気力そのものです。
何もない部屋で途方に暮れている内は、獲物を引き裂く牙や爪などなく、
鋼鉄の壁を破壊する腕力もなく、30メートルの跳躍を見せる脚もありません。

とりあえず一晩中、何もない部屋の壁をボケッと眺めた私は、
明日までに脱出の算段を整えねばならず、今のところ何も思いつきませんでした。

出られるかな? 明日の昼頃までだぞ。

自分にウンザリする時

直近の仕事が一つ完了しましたが、これで全体の半分。
仕事の上で「今までに描いたことがないもの」を描くことは多いですが、
最近は、そうしたものをどこまで省略するかが課題となっています。

と云うのは、たとえば怪物の背後に横転したトラックを描く場合、
距離による遠近や、火災が起きていれば炎を光源としたコントラスト等、
「実際には見えないもの」が多くあり、それらは描く必要がないからです。

ただし私の絵に対する考え方というものは近視眼的で、
細部に凝った結果、全体のまとまりを失っている例が多くございます。
深く潜って詳らかにすることは得意でも、周りに何があったかは憶えられない。

これを個性とするかどうかは生かし方次第なのでしょうが、
仕事で不足がある以上は個性だ何だとは云ってられません。

要求された品質を維持するにあたっては、痒いところに手が届く資料が必要。
すなわち実際には見ていないものを補完する情報です。

しかし実際には見えないものが多く、そしてそれは描く必要がない。
どこを省略するかが課題なのですから、知識を篩(ふるい)にかけなくては。

そうして篩にかけすぎて……という結末が、もはや目に見えるかのようです。

古さの物差し

家族の自転車を修理したり、友人に会いに行ったりと色々でした。
疲れて帰り、眠って起きると頭の中で「飛んでスクランブール」が流れます。
つぼイノリオさんの作曲です。

起き抜けに何らかの歌や曲が勝手に流れ出すことは(たまに)ありますが、
「飛んでスクランブール」はアナログレコードの"針飛び"を模しています。
収録内容の一部分が延々と繰り返して演奏される現象を利用した曲です。

数字で例えるなら、1-2-3-4-5-6-7-8……と順序よく並んでいるものが、
針飛びによって「1-2-3-4-5-6(針飛び)4-5-6(針飛び)4-5-6 ...」と、
同じ演奏帯で繰り返されるため、実際に聴いていると非常に困るのです。

それはさて置き、こうした針飛びやレコード独特のプチプチというノイズは、
現代でも"古さ"を演出する上で使われたりすることがあります。
レコードが現役だった頃の世代には懐かしい特徴です。

では、レコードを見ても何に使うのか分からないほどの未来では、
どのような音質が「古さを感じる要素」になるのでしょうか。
曲の作り方や楽器の音色を除いた場合の話です。

写真であれば、モノクロ、セピア、カラー化の直後あたりが古さを演出しますが、
そうした変遷が知識や経験にない場合の、"古さの演出"に興味が湧きました。
時代を計れそうな服装や建築や技術などを除いても、さらに何かあるものなのか。

昭和の記録映像などに見入ることが多くなりました。

遠回り

仕事にて、実在の動物をもとにした怪物を描いています。
この仕事も十年が経ち、描いてきた怪物の数は百を越えましたが、
いまだに動物を綺麗に描き上げるのは難しく、学習と修正の連続です。

それでも長いこと描いていれば形が整ってきます。
見ないようで見ているし、憶えていないようでいて憶えている。

昔の作品を見ると「なぜ気づかなかったのか」という点ばかり気になりますが、
失敗を踏み台にして学べた点は、きちんと描けていて現在に役立っています。
存在しない生物であっても素材となる部品が物語るのです。

怪物を描き続けることで動物を描く技術が上達するのも変な話ですね。
プロフィール

七片 藍

Author:七片 藍
フリーイラストレーター

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