この日は(詳しくは避けますが)本業における関係者の方と話しました。
私が本業にて電話で話す機会は少なく、数年に一度くらい。
諸事がメールで交わされる静かな職業です(←上品な見栄)。
以前から私の作風を気に入っておられるそうで、
担当さんから何度か「一度、電話でお話ししたい」と聞いておりましたが、
これに案件の話が含まれる場合、情報の聞き損ねで問題が生じてしまいます。
そのため機会を逸しており、このたびようやく話すことが出来ました。
ほぼ同い年と分かったことで、何かを例に話すのも直感的で楽しい。
30分近くの長電話になってしまいました。
本業で人と話すことが皆無に近いせいか、こういう機会は貴重です。
そして多くは良い思い出となり創作意欲の密度を上げてくれます。
「今後とも末永いお付き合いをお願いいたします」
こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。
- 2023/09/28(木) 23:59:00|
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この日は本業一色……というより、ここ最近ずっとそうです。
絵の仕事は(少なくとも私は)一日で終わらないので、
数週間にわたって"熱"を持ち越さねばなりません。
これは、いわゆる「やる気」とは別物であると考えます。
題材を問わず静かに積み重なるものです。
「重なるもの」であって「重ねるもの」でない点が厄介。
作品の進行度に伴うので、開始は熱が低く終盤ほど高い。
この熱が下がる要因は、幾つかあります。
・後出しの資料で「実はこうなってます」と云われる。
・ラフの時点で分かっていたことを本番で修正させられる。
・中途半端に現実的な要素による「〇〇でないとおかしい」。
愚痴のように見えますが「擦り合わせの限界」とでも云えばいいのか、
期間が決まっている以上は予見できる問題について長々と話すより、
見切り発車でも「走り出してしまえば分かりやすい」のが悲しいところ。
紙飛行機を飛ばした後の、急に吹く風。
拾い上げて再び飛ばすしかなく、風を恨んでも詮のないことです。
これが続くと便秘になる。
- 2022/11/09(水) 23:59:00|
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この日は本業一色。
仕事の上では基本かつ最も頭を悩ます一点、ポーズ。
カードイラストを描く上で、人体は表現の幅が広くて自由度が高いです。
しかし人体から離れた特徴的な体つきには"理解する時間"が必要で、
ことに「よく知る形に引き戻して」認識しようとします。
たとえば魚類。
私達が「よく知る魚の形」は、大抵が側面から見た形です。
あえて上から見るように陳列される機会は少ないし、第一わかりづらい。
一方で昆虫などは上から見た形が多いです。
側面では脚の多さを一目で認識しづらく、真横から見る機会も少ない。
どんな形であるのか容易く認識するには適した視点があり、
「適した視点に立ち戻らせる」か「認識のための手掛かり」が必要です。
この"手掛かり"を手段として、よく知る形に引き戻す。
蛇を正面から描くと頭だけになってしまうところを、
「左右にくねらせることで長い胴体であることを示す」のですね。
これが怪物となると色々と手続きが面倒です。
常識はずれにバランスの悪い体躯であろうと、それが怪物。
よく知る形に引き戻すための手段を使うと、かえって退屈な絵になる。
ここに、シリーズ内で自分を含めたイラストレーターの各作品を対象とし、
一見して他のイラストとポーズが似てはいけないという不文律もあり、
さらに採り得る選択肢が減るという制限もあります。
こんなこと17年も続けているんだな。
よく私の弱い頭なんかで、どうにかして来れたもんだ。
- 2022/10/19(水) 22:54:07|
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この日は本業に掛かり切りでした。
以前に描いたものと同じキャラクターを少し弄るだけですが、
この仕事をしていると「どこまで描くべきか」で悩むことが多いです。
例えば体長の長い怪物だとしたら、その長さを"説明"する必要があります。
ただし、あまりに説明的すぎると絵としての面白みに欠けてしまい、
動きや迫力、想像の余地等、期待されるものを包括できません。
・腕が3対あったら?
・後頭部にも顔があったら?
・手足が逆についていたら?
よく知っているものを足したり減らしたり極端に描いたり、
それらが全て一目で分かり、且つ説明的すぎないこと。
縦長の構図で上から下へストンと視線を落とす間に、
知るべき情報の大半を得られる描き方が理想である一方、
そうすると選択肢も限られ、毎度これに悩まされるのです。
……もっと乱暴に考えよう。
一から理詰めで行こうとすると失敗する。
そもそも、お前は頭悪いだろ。
- 2022/10/12(水) 23:59:00|
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予定では既に本業の年内案件を終えているはずでしたが、
幾つか修正が入ったことで日程が変わる可能性が生じ、
追随する修繕の日程も変わりそうです。
私にとって年末や長期連休というやつは厄介この上ない。
関連業者の多くが業務を順延するため、この時期に「指示待ち」が入ると、
作業を再開できるのは休み明けとなって執筆期間に空白が生じます。
イラストレーターは頼まれたものを描くことが仕事であるわけで、
自分が正解を知るとは限らないため判断を仰ぐ必要があり、
それが日延べされるということは───
「問題(案件)が解決(校了)していないのに手を出せ(描け)ない」
───という状態になり、私はこれが嫌い。
物事には熟考が必要な時と「そうでない時」があり、
直ちに対応できることを日延べすると、問題点がぼやけるのです。
そうして弄らなくともよい箇所に手をつけ、また次の問題が起こる。
万事が振出しに戻るような悪循環───イライラがつのります。
とは云っても、こんなことは「あるある」です。
あえて問題点から離れて別のことをするのも良し。
修繕は騒音が発生しますし、どうせ昼間しか進められません。
それより年末年始の副業をどうするか……。
- 2021/12/20(月) 20:54:30|
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この日は副業での作業中、不意に頭の中で古いアニメの主題歌が流れ、
それが長々と10時間くらい続き、気分は子供時代でした。
流れていたのは「ドロロンえん魔くん」の「妖怪にご用心」です。
実写画像とアニメを組み合わせたエンディングテーマ映像なのですが、
このアニメを特に好んで観ていたわけではなく、弟か妹が楽しんでいました。
私は本編内容よりもエンディングテーマ映像の印象が強く、
暗めのコントラストを効かせた実写が、とにかく薄気味悪かったのです。
不安を煽られるような、疑わなくてよいものまで疑いたくなってしまう、
"ご用心"という注意喚起が(私にとって)効果てきめんなのでした。
そして、あの映像が大好きでもあったのです。
昨今、目覚ましい映像技術の進化によって現実と創作の境界線は希薄ですが、
そうなる前の「これは現実、あれは創作」と分かっている時代において、
アニメ(創作)の中にゴトンと重々しく転がされる実写映像は……息を呑む。
楽しい雰囲気のぶち壊し、綺麗な景色の中にある血しぶき、
食卓に現れる虫、暗闇にシルエットしか見えない何か。
こういう、自分では制御できないものを怪異とする時、
それを目に見える形で表わしてしまう作業のひとつが、
ありもしない生き物・怪物を描くことだと思っています。
してみると、私は長いこと「解決できない自分の不安」と隣り合わせで、
それが仕事でもあるのですから、ずいぶん皮肉な人生だなと感じます。
やっぱり私は「好きなことを仕事にした」わけではなく、
「できることを仕事にした」のだな。
- 2021/12/11(土) 23:59:00|
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ちょっと焦って本業を進めているのですが、難しい。
モノクロ原稿なので「カラーよりは労力が少ない」と考えがちなところで、
「色がついていれば説明が容易い」という長所を手放さねばなりません。
文章ではない、または文章だけではない視覚情報が持つ利点は、
文章だけで説明するより具体的であり、直感的に理解しやすいこと。
漫画や動画の利点は置いておくとして、
静止画の一枚絵(文字の介入しない絵)は───
▼長所
情報源として一点で済む。
一枚だけ描けばいいので細部にこだわれる。
描かれていないものは、不在・省略として片付けられる。
描かれていない前後の出来事に想像や拡大解釈の余地がある。
▼短所
動きや音、真実や嘘の概念を持たせるのは困難。
一枚で全てを物語らねばならず情報量が少ない。
見る人の主観に委ねる要素が多く情報を修正させづらい。
修正に当たっては加筆か2枚目を描き、あるいは修正できない。
前後の出来事が想像の域を出ず、予備知識が必要になることもある。
───こんな感じでしょうか。
私が仕事で描いている絵は一枚絵と漫画の「あいのこ」で、
集中線や漫符を(多くは指示で)挿入するため、
上記よりは厳しくないと思います。
それでも「***があるから表現できる」と高をくくっていて、
改めてモノクロを描こうとすると使えない表現が出て来るのです。
モノクロ映画を観て学ぶべきなのかな。
- 2021/11/19(金) 23:59:00|
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本日は修繕なしの仕事(本業)だけ。
わずかに晴れ間が覗いただけで、やはり基本的には雨です。
雨が降り始めるとツクツクボウシが鳴かなくなり、少々気の毒でした。
本業はラフを描いている段階で、時間ばかりが過ぎて行きます。
これは私の(まったく改善されない)性質なのでしょうが、
ラフを描いている時が最も苦しいです。
むしろ本番の方が無駄な時間が少ない───というのは、
云ってしまえば本番は「ラフをなぞって肉付けする作業」なので、
そのラフは大体の構図や色合いを突き詰めねばならず、難産になります。
それでも何時間か、あぁでもない、こうでもないと頭をひねる内、
それなりに形が決まって来るのですから……もう儀式のようなもの。
これさえ改善されればと思い続けて十数年、未だ変わらず。
きっとこれは「どこで苦しむか」が個人によって異なり、
私の場合はラフで苦しむことになっているのでしょう。
仕上げ直前で苦しむよりはマシかな。
- 2021/08/18(水) 23:59:00|
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仕事だけの一日でした。
作業の上では緊張をもって当たっているとは云え、
何年かに一度は「やってしまう」ことがあります。
今回は、ラフのデータを「統合して上書き保存」してしまいました。
分かりやすく云えば、カメラで「撮影してしまった」状態です。
撮るつもりがない物は撮影前に除いておくものですが、
除く前に撮影してしまったら、除外することは出来ませんよね。
大抵の絵描きは、描き上げたラフを元にして本番に臨むわけですが、
依頼者側への提出後、ラフに手直しを頼まれることがあります。
こうした場合、一から描き直すことは稀です。
殆どの場合は数ヶ所の修正で済むため少々弄ることになりますが、
先述の通り「***の線画部分だけ直してください」と云われた場合……。
ラフとは云え、線画への着彩が済んだ上で合成してしまうと、
そこから「線画のみ」を取り出すことが出来ません。
線画と色の両方を弄る必要が生じるのです。
まだ修正指示は来ていないものの、本番ではラフの線画を元にするため、
単体の線画を取り出せなくなったことにより、やや面倒なことになりました。
失敗する時は失敗する───注意してても同じ。
- 2021/06/30(水) 23:59:00|
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本業だけの一日でしたが、あまり進まなかったので不満です。
文句をつける気にもならない快晴が不満を増大させます。
いっそ畑で暴れていたほうが有意義だったかも。
現在の本業は、短期的に通常とは異なる作業をしています。
あえて数年前までの"描き方"に戻す必要があるのですが、
当時は普通にやっていたことを、今やると疲れる。
仕事の上で「こうすると上手く描けるかな」とか、
「こうすれば早く仕上がるかな」といった努力は常に模索します。
その結果が現在の手法であり経験となっているわけですが……。
一方で、古い手法に戻すと異常に時間を浪費します。
かつて難なく消化して来たことを、まるで初めて試すかのように。
抜け落ちた習慣であっても、体のどかで憶えている。
忘れてしまうわけではない反面、たやすく引き出せるわけではない。
長いこと開閉していない扉の蝶番みたいです。
「感覚に"慣れ"というものはなく、ただ麻痺しているだけ」
どこかで聞いたような。
- 2021/04/21(水) 23:59:00|
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今日はちょっと絵の話です。
とは云っても、絵の描き方だの、好きな作家・作品というよりは、
私がファンタジーものに傾倒する切っ掛けとなった映画作品について。
1988年ロン・ハワード監督作、ジョージ・ルーカス原案「ウィロー」。
何度も観てしまう作品の一つで、これに登場するケール将軍が好きになり、
中学生時代は鎧の騎士ばかり描いていた時期がありました。
この作品から───
・骸骨をあしらった扮装が好き
・魔女は老婆であるほうが好き
・巨大なモンスターが好き
───といった具合に傾いて行きます。
母から誕生日に中古CDを貰い、初めて手にしたサントラであり、
そのCDは当時一般的だったレンタル店の店終い品でした。
今でも大切に保管しています。
本日こんな話題を挙げたのは、長いこと知らずにいたことを知ったからです。
作中における私が大好きなキャラクター、善の老魔女フィン・ラゼール。
この役を演じた女優パトリシア・ヘイズ氏が亡くなられていることは知っていますが、
同様に好きだった映画「ネバーエンディング・ストーリー」の中で、
エンギウックの妻「ウルグル」も同氏であったと知りました。
この歳になるまで気づかなかったなんて……そうだ、あの顔はラゼールだ。
ノックマー城の前でウィローを勇気づける時の顔が好きです。
運命の赤子エローラを葬らんとする悪の魔女バヴモーダのセリフ。
あぁ、また観たくなってきた。
- 2020/10/18(日) 21:12:00|
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今日も本業だけで過ごしています。
昼間の日差しは窓ガラスを温めるほどに強いため、
パソコンを起動していると部屋の中だけは夏のようです。
それにしても本業で一日を消化すると、本当に何も書くことがない。
畑ならば(イラストレーターのブログであることを無視すれば)、
作業の内容や今後の展望を記すことも出来るのですが……。
そうか、書くことがないのは書けないからだ。
販売・公開前の商品については言及できません。
そんなことをしたら怒られてしまいます。
とは云え、他のイラストレーターさんは(知らないから)除くとして、
外注には必要最低限の情報しか提供されないのは、ごく当然のこと。
いわゆるリークは企業の利益を著しく損ねる例も少なくないでしょう。
よし、無理はしない。
書けないなら書かないぞ、仕事をする。
……という内容を本日の記事にしちゃう。
- 2019/10/28(月) 23:59:00|
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ほぼ本業だけで過ごしていました。
こうして一日を本業に傾けられるのは清々しくもありますが、
あるいは副業の反動ではと考えれば、やはり私の集中力の問題でしょうか。
一方、集中できるようになると今度は幾ら時間があっても足りません。
余裕の全てをペンに込めようとして、すると表現に凝り始めます。
技術が向上し時間が短縮されても、また表現に凝る。
何かに似ているなぁと思ったら、発明でした。
「労働時間を短縮しようとして多くの発明がなされるが、
そうして短縮した時間に別の労働を挟んで忙しくなる。
その意味において全ての発明は失敗作と云える」
昔、あるドキュメンタリー番組を観た時に云っていたことです。
結果として品質が向上してはいるので無意味ではありませんが、
"良さ"に上限がない以上、どこまで行っても時間はかかる。
品質は、ある程度のところで妥協するしかありません。
そうは云っても、手を抜くのって難しい。
自分にとって「この程度は当たり前である」と感じる品質の線引きは、
頭打ちがないので「手抜き=未完成」という認識でしかなくなります。
してみると、結局は出来ることの全てを投入するしかない。
よって楽になることはないわけで……。
人に勧められる仕事じゃないな、これ。
- 2019/10/27(日) 23:59:00|
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本業にて、2時間分に相当する作業量が飛んでしまいました。
保存しないまま作業を続け、再び仕事を再開しようとしたところ───
「え? ちょっと待って……」
───ディスプレイが真っ暗になり、パソコンが再起動を始めたのです。
そこから巻き返すまでに同じだけの時間を……浪費してない。
絵を描く作業で最も時間を使うのは「考えながら描いている時」です。
ペンを走らせた先が"正解"とは限らないので、散々あちこち歩き回ります。
しかし行き先が分かっていれば迷うこともなくなる。
こうした地味な工程を何度も繰り返した結果が一つの作品であり、
データが飛んでしまっても、ある程度は楽に復帰できます。
「(と云うわけには行かないんだな)」
戻って来ないのは時間だけ。
悔しいので予定より先まで進めてから眠りました。
扁桃腺の腫れは治りましたが、歯が浮くのは治っていません。
- 2019/10/24(木) 23:59:00|
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本日も昨日と同じですが殆ど仕事に傾いています。
畑に行けないので、母が代わりに白菜の苗を植えたそうです。
私がやりたかったのに……しかし今はそれどころじゃない。
GWや盆暮れ正月のほかで三日連休は初めてでしたが、
ほぼ仕事と用事だけで消化してしまいました。
副業を始めてから、24時間の全てを本業に傾けられなくなり、
「あと数時間あれば」と感じることが増え、それがストレスでした。
思い切って描けないわけです。
しかし、机に向かって無為に過ごすことがあるのも事実。
いわゆる「逆さまにしても何も出て来ない」というやつで、
こうなると時間だけが過ぎて行き、むしろ他のことをしたほうがいい。
自分の持ち物なのに出し入れが不自由。
燃費があって、鮮度があって、無理が利いて、有限とも無限とも。
能力とは生き物みたいなものですね。
- 2019/10/20(日) 23:59:00|
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副業の現場は、夜明け前からの悪天候で強風にさらされました。
台車が独りでに動いたりして風の強さを物語ります。
ところで今年の本業は珍しく書籍案件が数件目になり、
出版業界が頑張っているのかなと考えながら仕事をしています。
着手中の案件は、久しぶりに好きな題材なので私も頑張りたい。
そんな中、題材に動物が必要だったので描き入れることにしました。
そうした注文はなかったものの特徴の一つだったからです。
私の仕事で必要とされる動物の種類は多岐にわたります。
怪物の多くは動物の"部品"を取り入れたものが大半なので、
昆虫から大型獣に至るまで、その姿形についての知識も必要です。
そんなことが十数年前から何度となく続いてきたわけですが、
ラフを描くにあたって構図に頭を抱えていたところ、
さらっと描いたものが意外に上手く描けました。
「(あれ? 行けそう……?)」
少し前の記事にも書いたとおり、私は見ながら描くのが苦手です。
白い紙面から視線を外してしまうと感覚が鈍ってしまう。
動くものを捕捉する時、瞬きを減らすのと同じ。
さりとて人間よりも動物を見る機会は限られるため、
間違いを防ぐため仕方なく資料と突き合わせねばなりませんが、
それを「見なくても描けた」というのは小さいながら驚きでした。
この十数年で、いつの間にか身に付いていたようです。
ひとまず最初の壁は早々に取り払われました。
最初の壁は、ね……。
- 2019/09/23(月) 23:59:00|
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直近の仕事に全力を尽くしておりました。
ラフの段階でも全力を尽くすのは、これが行き先を決めるからです。
この仕事に携わった初期には、ラフはラフとしてだけ描き、
あとはそれを見ながら描くという手法を取っていました。
しかし細大に関わらず思ったように描けなかったのです。
その後、ラフをトレースする形に変わっています。
大抵は弄る箇所が膨大なので「そこそこ似ている完成品」となりますが、
ラフ時の閃きや感覚を引き継がせやすく、"道草"を減らす効果がありました。
ここで云う道草とは、ラフを踏襲せず手癖で描いて失敗することです。
私は見ながら描くのが苦手で、学校の美術でも同じでした。
描き写す対象に視線を移すのが苦痛だったようですね。
しかし、ラフがあり本番(ブラッシュアップ)がある"仕事"において、
いちいち道草を食っていては瞬く間に〆切が迫ってしまいます。
定められた期日に納品することも仕事の一つです。
従って、トレースに変えてからはラフが全体の出来を決めてしまいます。
ガチャリとチャンネルを切り替えるように、意識と感性の手綱を引く。
冒険が減り、偶然が減り、「なんとなく上手く描けた」という幸運も減り、
かわりに一撃で心臓を射抜くような矢を射る。
職人ってそういうものだと考えています。
- 2019/09/11(水) 23:59:00|
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昨日は雨、本日も朝から雨……ああ畑に草が茂る。
今日は本業を中心に過ごしていました。
いつもの「どのような姿の人物や怪物であるか」を描くのではなく、
状況(または状態)の説明に主眼を置いており、やや毛色が違います。
こういう依頼の楽しさは、前者では描かない表情を扱う点です。
私が手掛ける題材というと大抵はキャラクターの紹介的なもので───
(A)普通に直立した姿
(B)戦闘の様子
(C)攻撃の様子が分かる構図
───直接的かつ限定的です。
これに対して、生活の営みにおける人間の表情や所作は無限に近い。
イラストは1枚きりで状況を説明しきらねばならず、
漫画や映像のように前後のコマ(フレーム)はありませんから、
それらがなくとも分かることが大前提であり、切り取りには吟味が必要です。
また、TCG等では事前にフレーバーテキストや物語を知らされませんし、
本の挿絵でも都合よく欄外コメントが入ってくれるわけではありません。
依頼内容と掲載文章との関連が食い違うことさえあります。
こうした不可抗力に「使えなくもない構図」を考えることも重要で、
限定的な構図は拡大解釈の選択肢を狭めるという欠点を併せ持つため、
あえて「そう見えなくもない」という構図を採用したりします。
今回の仕事は、上記における(A~C)とは異なる題材で、
出来事の一歩ないし数歩手前、あるいは出来事を想起させる仕草等、
「出来事そのものを描くわけではない」という内容でした。
これが難しいわけですが、想像力を働かせるのが楽しい。
何度も読み返したはずの本に、何ページかの読み落としがある感じ。
頭の中にある引き出しに、自分でも知らなかった閃きがある。
楽だとは云わないけど。
- 2019/08/28(水) 23:59:00|
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本業での案件にて、同じ描き込みが数十箇所も必要だと分かり、
当初に予定していた〆切では危ないと判断し相談することとなりました。
仕事上、絵は手描き(アナログ)とCG(デジタル)に大別されますが、
これは「実物の画材や完成品という概念がない」という点においてのみで、
CGならば全てがボタン1つかと云うと、もちろんそうではありません。
「実物の画材を使用しないが作業そのものは手描きと同じ」とも表現でき、
ある程度を簡便化、または負担の軽減が可能なものの、
せかせか描くこと自体はアナログと変わらなかったりします。
よって同じようなものが幾つも続く作業は大変で、地味にキツい工程です。
「───というわけで、さらっと数えただけでも60個くらいでした」
「その点については当方も見落としておりました……再検討します」
結果〆切が延びて助かりましたが……。
CGは同じものを量産するのが得意であるものの、
絵の中であろうと全くの同条件で存在するものは僅かです。
異なる条件で同じものを描く必要があれば、簡便化が利かなくなります。
すると結局は手描きと同じ次元に戻るわけです。
合理化できることは無くもないのですが、不可逆化しやすい。
ブツブツ云ってないで、やるしかないか。
- 2019/07/16(火) 23:59:00|
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今日も仕事だけです。
毎度のことですが、色々と分かって来るのは依頼の終盤くらい。
何日もかけて描き上げる割に、"要点"が完成間近に集中している感じです。
いつもいつも、一体これは何なのでしょう。
余計なものが削げ落ちて感性が剥き出しになり、じかに理解するのか。
汚れたエアフィルターが外れて、新鮮な空気で頭がスッキリする感じ?
それが積み重なって次に繋がるのだから無駄ではないのでしょうが、
なんと云うか、こう、取っ掛かりが最初のほうにあってもいいじゃない?
……なんて、自分の作品に情けを乞い始めたら最後なんだろうな。
- 2019/05/23(木) 23:59:00|
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母が地元のイベントに参加したところ何人かの知人に会い、
一昨日の記事で書いた「夢に出てきた同級生」の親御さんに会ったとか。
奇妙な偶然があるものです。
ところで、私の記録によれば昨年から一年以上も寝酒を飲まずにいます。
大抵はビール1本程度でしたし、体調を崩すほどの常飲でもなく、
まして医者に断酒を勧められていたわけでもありません。
とにかく"休肝日"の長い飲み方で、3~4日ほど寝酒が続いた後、
ぱったり2・3週間くらいは飲まずに過ごすのが私の飲み方。
独り暮らしの寝酒だから当然ながら独り酒。
寝つきの悪い私が寝酒を飲むのは「何も考えずに眠りたい時」だけでしたが、
ある方法を思いついて実践した結果、いつの間にか眠れるようになりました。
その方法とは、結末を用意した空想の反復です。
専用の短い"お話"を作り、眠る前に思い出して繰り返すだけ。
結末が決まっている話なので、始まりも終わりも何もかも同じ。
重要なのは、話を改変しないこと。
新たに何か考え始めてしまったら、また冒頭に戻します。
ようするに、読み飽きた話で頭をウンザリさせるわけです。
ちなみにどのような話かと云うと───
・大福に目と口だけを描いたような小さな生き物が森から出て来ました。
彼は奴隷で、人間に冬場の食べ物を分けてもらうよう仲間に命じられ、
民家の庭に迷い込んだところ、家の主である老人に出会いました。
人間は彼らを踏み潰せるほどに大きな体であり、天敵でした。
しかし仲間の居る巣に逃げ戻れば、彼は仲間に何日もぶたれます。
彼は命令どおりに食べ物を分けてもらおうと事情を話しましたが、
老人は「もう巣に戻ってはいけないよ」と云って彼を保護したので、
その後は幸せに過ごしました。
───これだけ。
面白くない、でも面白さは求めていません。
当たり前ですが上記の文章を頭の中で暗誦するわけではなく、
あくまでシーンを空想して、終わったら繰り返すだけです。
ここ1年くらい、ずっとこの空想を繰り返しています。
脳が「あぁ、またか」と思って休む体勢に入りやすくなるのか、
びっくりするくらい寝つきがいい。
考えを掘り下げないことが安眠への近道。
脳が"考えること"を止めてくれないのが苦痛だったのですが、
考えることを単純化することで対策できました。
今日も彼は老人に出会います。
- 2019/05/19(日) 23:59:00|
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畑で10分程度の作業を済ませ、お昼前に洗濯物も取り込み、
その十数分後に激しい雨……フフフ、気持ちがいいくらいに抜かりがない。
さぁもっと降れ、明日は休みなんだ、どうせ仕事なんだけど。
その仕事(本業)ですが、久し振りに怪物系の依頼が来ています。
このところ「趣味では描かない系統」が主題の依頼が続いたせいか、
久々の怪物は、想像を加速させる音楽の種類を変えさせ、私を攻撃的にさせます。
とは云っても「言葉づかいや車の運転が荒っぽくなる」という風なものではなく、
爪や牙、翼や筋肉、実在しない体躯といったものへの"執着"が強くなるのです。
視線が液晶ディスプレイを貫いて向こう側まで届く感じ。
怪物は、(実在すれば)その殆どが有害な存在と云って差し支えないでしょう。
その容貌に慄然とし、容易く人間を薙ぎ倒し、文明社会のか弱い営みを脅かす。
「居ないと分かっていても無用な不安を抱かせる」という要素をはらむので、
それのみに注目すれば悪趣味な創作物であることは否定できません。
小学生の時、私の絵を見て「あんた自殺するわ」と告げた女子が居たなぁ。
ただ、人が暗闇や不可解なものに恐怖する時、
それが漠然とした不安の塊であるよりかは、何か少しでも輪郭が見えたり、
望めば触れて確かめられる実在であるほうが、より御しやすいでしょう。
「居ないと分かっているから安心できる」という意味では優しい存在。
そんな彼らに"姿を与える"のが、今の仕事であると考えています。
そこに私が納得できる形の、彼らなりの誇らしさがあれば尚いい。
人間の一つ上に君臨するものと云えば自然災害が挙げられそうですが、
彼らは明確な意思をもって自ら有害たらんとし、それを省みることなどしない。
人間も同じようなものですが、そこに倫理や道徳といった感傷を持たず、
むしろ己の牙や爪、隆々たる筋骨のように破壊を一筋に求めた攻撃性は、
人間の代わりに憎まれ役を引き受けています。
そして彼らは憎まれることすら歯牙にもかけはしない。
人間の中にある矛盾を嘲笑うからこそ、彼らを愛しく感じるのではないか。
そう考えると、姿を与えずにはいられない。
私の幼稚な技術で出来ることは限られますが、彼らの遊び相手は少ないから、
ままごとのような落描きで「お前は物好きな阿呆だな」と笑われたい。
一生やめられそうにありません。
- 2019/05/14(火) 00:00:00|
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ここしばらく、本業と副業の間に引越しの準備や畑を挟んでいましたが、
今月から来月半ばにかけて本業が忙しくなっており、全く余裕がない。
全体的に、やることが過密状態にあります。
そのため引越し準備は「ほどほど」にする予定です。
幸い畑も大掛かりな用地確保を終えたので、仕事に集中できそう。
そしてきっちり眠らないと集中力が維持できない。
この本業も十数年になりますが───
「やめたくなったことはあるか?」
───と聞かれれば、「何度かある」と返さざるを得ません。
好きなことを仕事にするのは、好きなことに義務や責任を作ること。
同時に、好きなことが「嫌いになる原因」をも作ってしまいます。
好きなことだから続けられるとは限らず、
好きなことだからと云って、辞めたくならないとも限らない。
そうした「色々なことが重なったパンク状態」の時に、
自分が途方もない勘違いをしているのではないかと考えます。
絵を仕事にする上で「絵が描ける」という技能は必要最低限の"資格"です。
その先々で───
・仕事上で生じる様々なトラブルに対処する
・描くために必要なものを判断し集める
・依頼内容を正確に把握し再現する
・期日まで仕上げる
・技術を向上させる
───等々、幾つかセットになったものを毎度消化せねばなりません。
描ければ仕事になるわけではないし、仕事なら何でも描けるわけではない。
自分の弱点を知っている人ほど無鉄砲なことは避けるものです。
さりとて私は独学ですから、世間が良しとする教育や学歴も持たず、
実績はゼロから作り、必要に応じて消化してきただけの人間です。
その度にガムシャラな仕事で塗りつぶし、きっと今回も同じでしょう。
弱気になるのは弱い時、強気でいられるのは強い時。
しかし歳を重ねれば体力と気力も衰える一方ですから、
いつまでも無敵な気分でおらず、きちんと調整する必要があります。
そう云えば、小学生の時に体育でマラソンがあった時、
たまたま自分が先頭になり、皆が私の後ろに回ろうとするため、
仕方なく先頭を維持するしかなく、初っ端でスタミナ切れを起こしたな。
級友には、その後しばらく散々バカにされました。
別に先頭になりたかったわけではなく、邪魔にならないよう引き離しただけ。
勝手に追い抜いてくれると思いきや、ぴったり後ろについて離れない。
今の私にとっての仕事は、あの時の彼らみたいなものです。
スタミナ切れを起こさない走り方を心がけねばなりません。
後ろから突き上げを食らってから動くくらいが丁度いいかもしれない。
……催促されてから仕事をするのって嫌いなんだけどな。
- 2019/05/08(水) 23:59:00|
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仕事(本業)が一つのシリーズを完了しました。
諸般の事情で作品そのものを掲載することは出来ませんが、
昨年から一通りを任され、かっちり描き遂げられて安心しています。
CGでの作画というとパソコンのマシンパワーがものを云いそうですが、
実際には、地味に省略が利かない行程や手作業のほうが良い点もあり、
パソコン環境を変えるより、自分を変えたほうが良いことも多いです。
そのためには「自分が何を苦手としているか」に気づく必要があります。
時間ばかり浪費したり、厄介で中々手をつけなかったりする行程や、
以前から改善するつもりが手クセで試していなかった行程など。
サボっているつもりはなくとも、忙しいと冒険する気もなくなります。
そこを少し、ほんの少しでいいから次に繋がる何かをする。
それを取っ掛かりにして、次の仕事で再び少し手をつける。
3回目くらいで本腰を入れて実装してみる。
すると、作業環境の良し悪しよりも自分の処理に問題があると分かります。
一人での仕事は"手本がない"ことでもあるので、気づきにくいわけですね。
自分の技術が足らないから上手く行かないのか。
あるいは手段が良くないから上手く行かないのか。
はたまた数をこなしていないから上手く行かないのか。
独学ゆえの行き詰まりには、こういう落とし穴が無数にあります。
この仕事も14年になるけれど、道の始まりで這っているだけのような気もする。
……とっくに引き返せなくなっているし、死ぬまでやるだけだ。
- 2019/04/20(土) 23:59:00|
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なんとか本業を仕上げられました。
〆切前になると集中力が向上し、長いこと作業に没頭していられますが、
時間ギリギリより少し早く仕上がるので、いつも終盤に余裕があります。
これを「追い詰められないと全力が出せない」と考えていましたが、
十数年を続けてみて、なんとなく違うような気がしてきました。
一枚の作品を仕上げるため、数日に分けて作業を進めるにあたり、
「**日までに**を済ませる」といった具合に大まかな目標を立て、
それは作業が始まってから完成を終点として続きます。
これが計画通りに済まないことは問題ですが、
あくまで大まかな目標であり、読めないことは多くあるため、
終盤になって先が見えて来ると「大まか」でなくなるわけですね。
右に押すと右に傾きすぎるから、左にも押してみる。
そうすると左に傾きすぎるから、少しだけ左に押す力を弱める。
何度か調整して、ようやく上手いこと「良い位置」で止まってくれる。
これまで散々、無計画さや集中力の無さとして自分を責めましたが、
そも一から十までが計画通りに進むことなどありません。
仕上がった作品を検分するのは自分ではないからです。
一見して無闇な素振りも、出来る時にやっておくべきなのかも。
- 2018/11/26(月) 23:59:00|
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結局、〆切の日延べをお願いしました。
朝までに仕上げるつもりでいましたが、指定の一つを描き込むにあたり、
ある段階で「これは無理だ」と判断したことが理由です。
CG(コンピューターグラフィックス)を描くにあたってはレイヤーの概念があり、
レイヤーとは直訳すると"層(階層)"となり、まさしくその通りです。
重ねたセロハンのようなものでしょうか。
例えば10人の人間が集まっている一枚の写真において、
何人かは手前にいる人の後ろに立ち、顔や体の一部しか見えていない状態。
この「手前の人が後ろの人(またはその一部)を隠す」というのも階層の概念です。
これをレイヤーでは「手前の人が上/後ろの人が下」などと置き換えられます。
手前の人を「レイヤーA」、後ろの人を「レイヤーB」とに分けた場合、
ふたつを入れ替えることで"前後"の逆転も可能なわけですね。
さてそれを絵で描く場合、隠れた部分まで描くかどうかは内容にもよりますが、
予めレイヤーで分離してあれば、位置や色合いを個別に扱うことができます。
誤ってレイヤーAを削除しても、レイヤーBは無事───なんてことも。
私の作品は様々な事情で100枚くらいのレイヤーを扱います。
そこまで多くする必要はないのですが、「***の位置を変えて欲しい」とか、
「***の色だけ明るく……」といった注文に対応するための処置です。
今回、一枚の絵の中で扱うもの(個別処理)が多岐に渡ってしまい、
かえって全体処理が施しにくい状態に陥りました。
台所と食器棚を別々の部屋で扱うようなものです。
そうして当初の見込みより時間がかかると分かったのが昨夜の話。
努力ではどうにもならないこともある……時間は24時と決まっています。
ただし、余裕が出来た以上は頑張らないと。
- 2017/06/23(金) 23:59:00|
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今日は畑を見回る程度で終了。
数日前にスイカが小さく結実していたのを見ているので、
スイカ大好きの母が今から楽しみにしているようです。
さて、仕事が面倒なことになっているので頑張らねばなりません。
同じ形のものを幾つも描かなくてはならず、これが地味につらい作業です。
具体的には、たとえば人体ならば胸椎(きょうつい)などです。
あんなに複雑な形状で10個以上もあって、どうにかインチキしたくなる。
しかし見る人は見ているし、自分自身でも気になるから描かずにはいられない。
毎回こうして最終的には納得の行くところまで描くことにしています。
ほとほと疲れるし、割に合わないと知りつつも課していることではありますが、
洞窟の行き止まりに何かなくとも、到達すること自体が既に意味を持つからです。
やったことがあるか、労を費やす意味はあったか、ということ。
幾つもある失敗の候補を、一つ除外できるということ。
ああ、やっぱり割に合わないな。
- 2017/06/12(月) 23:59:00|
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仕事漬けだったので少し畑を見回った程度です。
先日に「苦手な題材」と書いた仕事は最初の壁を越えることが出来ました。
と云うのは、苦手な題材という点のほかに依頼の作画指定文について、
理解の仕方によっては描きかけの作品が全直しになる可能性が生じ、
「どうか認識どおりでありますように」と祈っていた次第なのです。
結果、私が理解したとおりの内容で問題ありませんでした。
(または提出物のほうが良いという判断をされたか)
この中間提出のために4日をかけています。
あとは仕上げまで突っ走るだけ……もう一踏ん張りなんじゃよ。
- 2017/06/09(金) 23:59:00|
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ある調べもので恐怖画像を扱った記事に行き着き、
その中に一枚だけ、沼の水面に立つ幽霊の画像がありました。
酷い画像は見慣れてしまいましたが、ふと思い立って"沼"で検索をかけます。
地元から市外へ走ると大きな池があり、私はこれが非常に苦手です。
水深不明で底が見えず、水面下10センチも下れば魚影が消えるほど。
この、おぼろげな水棲生物の影と巨大な沼や池(または湖)という組み合わせ。
濁った25Mプールで3メートルを越す正体不明の黒い影が泳いでいたら、
私は迷わず屋内へ取って返すほどに平常心を逆撫でされるでしょう。
小学四年生まで泳げなかったのが大きな理由かも知れません。
ところが検索結果として出てきた画像に恐怖を感じるものが少なく、
ここで疑問になったのは、どのような条件を怖いと思っているかでした。
・水面に景色が反射していると怖い? → ものによる
・濁っていて水中が見えないと怖い? → そうでもなかった
・規模が大きいと怖い? → 小さくても怖いものがある
・実物と画像で違う? → どちらでも
───いまいち明確でない。
「これはダメだけど、あれは平気」という感じです。
数年前に友人とボートに乗った時は平気だったりします。
一つ確かなことは、全長2メートルの魚を上から見るのは怖いということ。
上記のボートで大きな魚に横付けされたら悲鳴を上げていたでしょう。
深い池や沼で巨大な魚を上から見る……という条件なら確実なようです。
しかし冒頭に書いた市外の池では魚を見たことがありません。
あの池に感じている恐怖は何なのか。
これがハッキリすれば、作品に活かせそうな気がします。
- 2017/03/02(木) 23:59:00|
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本日も仕事だけの一日。
新規案件は色々と気を遣うので、思いつくことは何でもやっておきます。
「今後も続く案件」か「一回だけ(または数回)の挿し込み」かは、
最初に明言されることもあれば、何も云われず続くこともあって曖昧です。
そして多ければ良いというわけでもありません。
案件が複数になると自主的に日程を管理しはじめますが、
10年も続けていれば「年間で消化できる作業量」も決まってきます。
複数案件では個別の納期交渉や一年を通しての見通しも必要となるのです。
その中での新規案件は、嬉しい反面に新たな問題となります。
簡単に云えば、一つの押入れに収納する布団の枚数が増えるようなことです。
圧縮袋で体積を減らして収納数を増やす……という考え方も出来ます。
例えば作業の合理化が最たる例で、これなどは部分的な所要時間の圧縮です。
もちろん毎日・毎回のことですから、一念発起するほどのことではありません。
問題は、限界の作業量(押入れの容積)は簡単に変えられないということ。
今ひとつは、案件の性質(布団の大きさ)が同じであるとは限らないことです。
とくに後者の場合、共通点は「納期までに絵を描いて納める」という一点だけ。
依頼内容や作品仕様の違いは、納期(時間)という概念にまとめられます。
そして納期までに納められないと収入が先送りになるのです。
一年を通して同じような作業を続けているようでいて、実は結構な違いがある。
新規案件は「これで大丈夫だろうか」という相手の腹を探る意味もあって、
いちいちラフを描き重ねていては時間を浪費するばかり。
そのような理由から、新規案件は色々と気を遣います。
そして継続案件であるとも限らないわけで、徒労に終わることもしばしば。
夏休みの宿題を最終日に終わらせていた人間の仕事とは思えないなぁ。
- 2017/01/25(水) 23:59:00|
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