今日も本業だけで過ごしています。
昼間の日差しは窓ガラスを温めるほどに強いため、
パソコンを起動していると部屋の中だけは夏のようです。
それにしても本業で一日を消化すると、本当に何も書くことがない。
畑ならば(イラストレーターのブログであることを無視すれば)、
作業の内容や今後の展望を記すことも出来るのですが……。
そうか、書くことがないのは書けないからだ。
販売・公開前の商品については言及できません。
そんなことをしたら怒られてしまいます。
とは云え、他のイラストレーターさんは(知らないから)除くとして、
外注には必要最低限の情報しか提供されないのは、ごく当然のこと。
いわゆるリークは企業の利益を著しく損ねる例も少なくないでしょう。
よし、無理はしない。
書けないなら書かないぞ、仕事をする。
……という内容を本日の記事にしちゃう。
- 2019/10/28(月) 23:59:00|
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ほぼ本業だけで過ごしていました。
こうして一日を本業に傾けられるのは清々しくもありますが、
あるいは副業の反動ではと考えれば、やはり私の集中力の問題でしょうか。
一方、集中できるようになると今度は幾ら時間があっても足りません。
余裕の全てをペンに込めようとして、すると表現に凝り始めます。
技術が向上し時間が短縮されても、また表現に凝る。
何かに似ているなぁと思ったら、発明でした。
「労働時間を短縮しようとして多くの発明がなされるが、
そうして短縮した時間に別の労働を挟んで忙しくなる。
その意味において全ての発明は失敗作と云える」
昔、あるドキュメンタリー番組を観た時に云っていたことです。
結果として品質が向上してはいるので無意味ではありませんが、
"良さ"に上限がない以上、どこまで行っても時間はかかる。
品質は、ある程度のところで妥協するしかありません。
そうは云っても、手を抜くのって難しい。
自分にとって「この程度は当たり前である」と感じる品質の線引きは、
頭打ちがないので「手抜き=未完成」という認識でしかなくなります。
してみると、結局は出来ることの全てを投入するしかない。
よって楽になることはないわけで……。
人に勧められる仕事じゃないな、これ。
- 2019/10/27(日) 23:59:00|
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本業にて、2時間分に相当する作業量が飛んでしまいました。
保存しないまま作業を続け、再び仕事を再開しようとしたところ───
「え? ちょっと待って……」
───ディスプレイが真っ暗になり、パソコンが再起動を始めたのです。
そこから巻き返すまでに同じだけの時間を……浪費してない。
絵を描く作業で最も時間を使うのは「考えながら描いている時」です。
ペンを走らせた先が"正解"とは限らないので、散々あちこち歩き回ります。
しかし行き先が分かっていれば迷うこともなくなる。
こうした地味な工程を何度も繰り返した結果が一つの作品であり、
データが飛んでしまっても、ある程度は楽に復帰できます。
「(と云うわけには行かないんだな)」
戻って来ないのは時間だけ。
悔しいので予定より先まで進めてから眠りました。
扁桃腺の腫れは治りましたが、歯が浮くのは治っていません。
- 2019/10/24(木) 23:59:00|
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本日も昨日と同じですが殆ど仕事に傾いています。
畑に行けないので、母が代わりに白菜の苗を植えたそうです。
私がやりたかったのに……しかし今はそれどころじゃない。
GWや盆暮れ正月のほかで三日連休は初めてでしたが、
ほぼ仕事と用事だけで消化してしまいました。
副業を始めてから、24時間の全てを本業に傾けられなくなり、
「あと数時間あれば」と感じることが増え、それがストレスでした。
思い切って描けないわけです。
しかし、机に向かって無為に過ごすことがあるのも事実。
いわゆる「逆さまにしても何も出て来ない」というやつで、
こうなると時間だけが過ぎて行き、むしろ他のことをしたほうがいい。
自分の持ち物なのに出し入れが不自由。
燃費があって、鮮度があって、無理が利いて、有限とも無限とも。
能力とは生き物みたいなものですね。
- 2019/10/20(日) 23:59:00|
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副業の現場は、夜明け前からの悪天候で強風にさらされました。
台車が独りでに動いたりして風の強さを物語ります。
ところで今年の本業は珍しく書籍案件が数件目になり、
出版業界が頑張っているのかなと考えながら仕事をしています。
着手中の案件は、久しぶりに好きな題材なので私も頑張りたい。
そんな中、題材に動物が必要だったので描き入れることにしました。
そうした注文はなかったものの特徴の一つだったからです。
私の仕事で必要とされる動物の種類は多岐にわたります。
怪物の多くは動物の"部品"を取り入れたものが大半なので、
昆虫から大型獣に至るまで、その姿形についての知識も必要です。
そんなことが十数年前から何度となく続いてきたわけですが、
ラフを描くにあたって構図に頭を抱えていたところ、
さらっと描いたものが意外に上手く描けました。
「(あれ? 行けそう……?)」
少し前の記事にも書いたとおり、私は見ながら描くのが苦手です。
白い紙面から視線を外してしまうと感覚が鈍ってしまう。
動くものを捕捉する時、瞬きを減らすのと同じ。
さりとて人間よりも動物を見る機会は限られるため、
間違いを防ぐため仕方なく資料と突き合わせねばなりませんが、
それを「見なくても描けた」というのは小さいながら驚きでした。
この十数年で、いつの間にか身に付いていたようです。
ひとまず最初の壁は早々に取り払われました。
最初の壁は、ね……。
- 2019/09/23(月) 23:59:00|
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直近の仕事に全力を尽くしておりました。
ラフの段階でも全力を尽くすのは、これが行き先を決めるからです。
この仕事に携わった初期には、ラフはラフとしてだけ描き、
あとはそれを見ながら描くという手法を取っていました。
しかし細大に関わらず思ったように描けなかったのです。
その後、ラフをトレースする形に変わっています。
大抵は弄る箇所が膨大なので「そこそこ似ている完成品」となりますが、
ラフ時の閃きや感覚を引き継がせやすく、"道草"を減らす効果がありました。
ここで云う道草とは、ラフを踏襲せず手癖で描いて失敗することです。
私は見ながら描くのが苦手で、学校の美術でも同じでした。
描き写す対象に視線を移すのが苦痛だったようですね。
しかし、ラフがあり本番(ブラッシュアップ)がある"仕事"において、
いちいち道草を食っていては瞬く間に〆切が迫ってしまいます。
定められた期日に納品することも仕事の一つです。
従って、トレースに変えてからはラフが全体の出来を決めてしまいます。
ガチャリとチャンネルを切り替えるように、意識と感性の手綱を引く。
冒険が減り、偶然が減り、「なんとなく上手く描けた」という幸運も減り、
かわりに一撃で心臓を射抜くような矢を射る。
職人ってそういうものだと考えています。
- 2019/09/11(水) 23:59:00|
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昨日は雨、本日も朝から雨……ああ畑に草が茂る。
今日は本業を中心に過ごしていました。
いつもの「どのような姿の人物や怪物であるか」を描くのではなく、
状況(または状態)の説明に主眼を置いており、やや毛色が違います。
こういう依頼の楽しさは、前者では描かない表情を扱う点です。
私が手掛ける題材というと大抵はキャラクターの紹介的なもので───
(A)普通に直立した姿
(B)戦闘の様子
(C)攻撃の様子が分かる構図
───直接的かつ限定的です。
これに対して、生活の営みにおける人間の表情や所作は無限に近い。
イラストは1枚きりで状況を説明しきらねばならず、
漫画や映像のように前後のコマ(フレーム)はありませんから、
それらがなくとも分かることが大前提であり、切り取りには吟味が必要です。
また、TCG等では事前にフレーバーテキストや物語を知らされませんし、
本の挿絵でも都合よく欄外コメントが入ってくれるわけではありません。
依頼内容と掲載文章との関連が食い違うことさえあります。
こうした不可抗力に「使えなくもない構図」を考えることも重要で、
限定的な構図は拡大解釈の選択肢を狭めるという欠点を併せ持つため、
あえて「そう見えなくもない」という構図を採用したりします。
今回の仕事は、上記における(A~C)とは異なる題材で、
出来事の一歩ないし数歩手前、あるいは出来事を想起させる仕草等、
「出来事そのものを描くわけではない」という内容でした。
これが難しいわけですが、想像力を働かせるのが楽しい。
何度も読み返したはずの本に、何ページかの読み落としがある感じ。
頭の中にある引き出しに、自分でも知らなかった閃きがある。
楽だとは云わないけど。
- 2019/08/28(水) 23:59:00|
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本業での案件にて、同じ描き込みが数十箇所も必要だと分かり、
当初に予定していた〆切では危ないと判断し相談することとなりました。
仕事上、絵は手描き(アナログ)とCG(デジタル)に大別されますが、
これは「実物の画材や完成品という概念がない」という点においてのみで、
CGならば全てがボタン1つかと云うと、もちろんそうではありません。
「実物の画材を使用しないが作業そのものは手描きと同じ」とも表現でき、
ある程度を簡便化、または負担の軽減が可能なものの、
せかせか描くこと自体はアナログと変わらなかったりします。
よって同じようなものが幾つも続く作業は大変で、地味にキツい工程です。
「───というわけで、さらっと数えただけでも60個くらいでした」
「その点については当方も見落としておりました……再検討します」
結果〆切が延びて助かりましたが……。
CGは同じものを量産するのが得意であるものの、
絵の中であろうと全くの同条件で存在するものは僅かです。
異なる条件で同じものを描く必要があれば、簡便化が利かなくなります。
すると結局は手描きと同じ次元に戻るわけです。
合理化できることは無くもないのですが、不可逆化しやすい。
ブツブツ云ってないで、やるしかないか。
- 2019/07/16(火) 23:59:00|
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今日も仕事だけです。
毎度のことですが、色々と分かって来るのは依頼の終盤くらい。
何日もかけて描き上げる割に、"要点"が完成間近に集中している感じです。
いつもいつも、一体これは何なのでしょう。
余計なものが削げ落ちて感性が剥き出しになり、じかに理解するのか。
汚れたエアフィルターが外れて、新鮮な空気で頭がスッキリする感じ?
それが積み重なって次に繋がるのだから無駄ではないのでしょうが、
なんと云うか、こう、取っ掛かりが最初のほうにあってもいいじゃない?
……なんて、自分の作品に情けを乞い始めたら最後なんだろうな。
- 2019/05/23(木) 23:59:00|
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母が地元のイベントに参加したところ何人かの知人に会い、
一昨日の記事で書いた「夢に出てきた同級生」の親御さんに会ったとか。
奇妙な偶然があるものです。
ところで、私の記録によれば昨年から一年以上も寝酒を飲まずにいます。
大抵はビール1本程度でしたし、体調を崩すほどの常飲でもなく、
まして医者に断酒を勧められていたわけでもありません。
とにかく"休肝日"の長い飲み方で、3~4日ほど寝酒が続いた後、
ぱったり2・3週間くらいは飲まずに過ごすのが私の飲み方。
独り暮らしの寝酒だから当然ながら独り酒。
寝つきの悪い私が寝酒を飲むのは「何も考えずに眠りたい時」だけでしたが、
ある方法を思いついて実践した結果、いつの間にか眠れるようになりました。
その方法とは、結末を用意した空想の反復です。
専用の短い"お話"を作り、眠る前に思い出して繰り返すだけ。
結末が決まっている話なので、始まりも終わりも何もかも同じ。
重要なのは、話を改変しないこと。
新たに何か考え始めてしまったら、また冒頭に戻します。
ようするに、読み飽きた話で頭をウンザリさせるわけです。
ちなみにどのような話かと云うと───
・大福に目と口だけを描いたような小さな生き物が森から出て来ました。
彼は奴隷で、人間に冬場の食べ物を分けてもらうよう仲間に命じられ、
民家の庭に迷い込んだところ、家の主である老人に出会いました。
人間は彼らを踏み潰せるほどに大きな体であり、天敵でした。
しかし仲間の居る巣に逃げ戻れば、彼は仲間に何日もぶたれます。
彼は命令どおりに食べ物を分けてもらおうと事情を話しましたが、
老人は「もう巣に戻ってはいけないよ」と云って彼を保護したので、
その後は幸せに過ごしました。
───これだけ。
面白くない、でも面白さは求めていません。
当たり前ですが上記の文章を頭の中で暗誦するわけではなく、
あくまでシーンを空想して、終わったら繰り返すだけです。
ここ1年くらい、ずっとこの空想を繰り返しています。
脳が「あぁ、またか」と思って休む体勢に入りやすくなるのか、
びっくりするくらい寝つきがいい。
考えを掘り下げないことが安眠への近道。
脳が"考えること"を止めてくれないのが苦痛だったのですが、
考えることを単純化することで対策できました。
今日も彼は老人に出会います。
- 2019/05/19(日) 23:59:00|
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